2010年2月2日(本部長通信817)

私の師は美しい女性でした

 私とほかの人との違いがあるとしたら、極真空手が生活になっているのです。それが、社会生活の中で、私を知らなくても何か違うという感じを受けるとい人は言います。平素はおどけた言動で仲良く過ごしているのです。
 私は誰とでも気持ちが通じている心を持っているようです。ご老人や子供たちとでも会えばすぐ友達になり、ふざけたりして遊びます。相手が誰であろうと、気持ちが通じるものです。
 また、私の人生で小さなことでも、いったん世話になったら一生忘れることができません。この年になっても、いつ誰が何をしてくれたか、またいつ誰かがどのようにしてくれたか、結構覚えているのです。私の為に労苦を惜しまず、尽くしてくれた人を生涯忘れることができないのです。
 恩を受けたので、自分は必ず、大きくして返そうとする人生を実践するのです。しかし、その人と直接会えないこともあったとしても、大事なのはその人を思う心だと心に決めています。ですから、受けた恩を今度は他の人に施すという一途な心で生きるのが良いという人生送ろうと思っています。
 すべて、これらのことは、師から教わったことなのですが、極真空手は私にとってより強固な生き方の実践をさせてくれているようです。師との出会い、これで人生本当にエンジョイ出来ています。ところで、千順さんも知っているのですが、私の師は美しい女性でした。

人を疑わない心それができれば、苦しみがなくなるということ。
人を裁かない心を築けば、耐えることができる。
人を憎まないから義道君そのものだからね。
だまされても、裏切られても、赦せばいいじゃない。
もし、義道君があなたを、裏切った人達さえ、許したとしたら、大きな人になるのよ。

 これは、師からの手紙です。もう四十年前の手紙で無くならないように今は、パソコンにスキャンしています。こんな手紙を美しい文字で書いてあるのです。その師は佐藤智子さんといって、1971年の11月から3月まで四ヶ月間大学受験の為の家庭教師をしてくれた方なのです。九州大学文学部卒の知的な素晴らしい主婦でした。今は65歳のおばさんです。