2010年2月1日(本部長通信815)

人生という川の流れ

 大会も終わったので、なんとなくパソコンに向かって書いています。何故、自分がこのような人生を歩んできたのか、56歳の私は考えます。また、ちょっと硬い内容になります。世の中に無数の人生があるのでしょうが私の人生についてです。寄りによってこんな私が今でも、人生という川を流れ流されているのです。
 やはり、人格が素晴らしいとか、信念が強いとか、そういう人生を歩んできたのではないなと反省です。どちらかといえば、頑固一徹で、愚直で、つまらない人生にすぎないなと思うのです。私に取り柄があったとすれば、いつ、いかなるところでも、思いやりのある心を持って生きるということを心がけているということでした。特に千順さんには。
 今でもですが、あらゆることを知りたい好奇心と、新しい世界を絶えず切り開きたいという思いなのです。かつて二十歳の時、四国88か所巡礼の旅に二カ月ぐらい歩きまわったことがあるのです。金は親から送ってもらい、寝袋一つで運が良ければトラックに乗せられ、弘法大師の足跡を辿ったつもりだったのでしょう。
 そこで、決意したことは一つだけありました。絶対にナンパはしないし、女性と縁を持つことだけは、しないようにしようとすることでした。性的欲求、つまり煩悩との闘いだけは曖昧にすることなく、この青春を過ごしていこうという自己管理に対する思いでした。
 ある意味で、身体と心を自分の意志通りコントロールできるところまで,瞑想と空手道の修練によって自分を鍛えようとした思いでした。ある意味で極真空手ですので、自分を刀のように思って磨かないと切れ味が悪くなってしまうという概念でした。
 それから、24歳の時に千順さんと出会うのです。はっきりお見合いです。でも一目ぼれでした。私の誇りは、千順さんとの出会いまで、一度も女性と愛の関係を持ったことのないことでした。つまり童貞ということです。それが、千順さんの心を打つかというと別問題ということになります。決して私に心を開いてくれることなく、時が過ぎて行くのです。
 私は純粋な心で手紙や電話、そして待ち合わせをするのですが、何ともなりません。後で妻に聞くと、七年間ぐらいは会うのが嫌だったというのです。仲人さんに申し訳ないから断らなかっただけでした。ちょうど七年過ぎたころは全日本に出場してそれなりに中堅選手として名前が出ていましたので、自分に自信があったのでしょう。
 私はかなり積極的だったようです。千順さんからすれば、ストーカーそのものだったようです。今の法律でなくてよかったと胸を撫で下ろします。それで、10年目にしてゴールインということした。忘れもしない、10月熱海に新婚旅行ということになったのです。もちろん、初夜ということです。そんな人生の流れでした。しかし、一度しかない人生の流れで忘れられない流れです。