2010年1月31日(本部長通信813)
ヨーロッパ選手権大会 祖父からの声(12)
最後のミーティングがありました。あらゆる国のリーダーが参加しますから、実に国際会議ということになります。会長の代理ですので、正面の席に座らせられて、緊張する趣でいます。あらゆる言語が飛び交うのです。英語を通訳して実に七ヶ国語ははるかに超えてしまいます。
そのたびごとに、何人ものトランスレーターが忙しいのです。四年もこのような国際会議をするので慣れてきたのですが、それにしても、頭がこんがらがってしまいます。もう少し英会話の実践が必要と痛切に感じるのですが、今だけかもしれません。日本に帰ったらうやむやになってしまうのでしょう。
今日の夜は寝つきが悪いようです。大会での主審のこともあるし、夢でも見ているのかとびっくりして飛び起きてしまいます。その夢は、二十二歳に母の金森亀一お爺さんの葬式に参加したことの思い出なのです。葬式の後火葬場まで共に行き、棺ごと火葬されて、戻ってきた姿は、骨だけの姿でした。その骨を骨壷に拾って収めるのです。生前の豪快に、剣道をし、酒を飲みながら多くの人と話し、一緒に魚釣りをしたり、キツネやタヌキを取るための仕掛けをしたりした思い出が、涙とともに去来しました。家族や親せきの人たちは、大往生を遂げたと口々に話していたし、そんなに悲しんでいなかったようでした。確かに誰もが認める豪快な人生でした。
しかし、私は、驚きと寂しさに襲われました。私と遊んでくれた祖父の姿が、このような姿になるなんて信じることができない気持ちでした。人間は死んだら白骨だけ残るのか、自分も死ねばそうなるのかと考えさせられました。現世にある祖父の思い出の作品は、私がゼロ歳で祖父の背中に背負われて植樹された杉なのです。私と同じ年の56年の歳月を過ごしています。金森家の裏山のホテル「やまぼうし」から見る杉の木は天に伸びているのです。
ところが、火葬を終えた日、祖父の顔が現れたのです。またその声をはっきり聞いたのです。ちょっと怖かったのですが、子供のころ遊んでくれた懐かしい顔で、問いかけてくれていました。いまだに、何を問いかけてくれたのか全く理解はしていないのです。ただ胸が張り裂けるような感激が一度に襲ってきたのです。
その後、金森家は破竹の勢いで社会的貢献をなし、金森従之叔父の事業はことごとく成功し、それが福祉財団として息子の従雄君に引き継がれているのです。そして私には剣道ならぬ空手道の道を極めさせてくれているかのようでした。考えてみれば、葬式の時以来、空手道に邁進していった記憶です。
アムステルダムに来てここでも、金森亀一祖父は、魂として協力して見守ってくれているのだと確信するのです。ヨーロッパのメンバーを指導するのですが、やはり私は強いのです。それは、私ではなく、祖父の魂が協力して強いのだと思えてなりませんでした。