2010年1月30日(本部長通信811)
ヨーロッパ選手権大会 極真空手に酔う生き方(10)
アムステルダムの朝です。日本より8時間遅れて時を刻みます。昨日の雨が雪に変わって5センチ程の積雪になっています。冬のヨーロッパに来たのだという実感が湧きます。朝に、ホテルの周りを歩く計画を変更して室内でストレッチです。
この国は緯度が高いので7時過ぎても真っ暗です。世の中がどうあれ一月は今日明日で終わりです。徐々に春が待ち遠しくなるのです。年齢が行けばいくほど強くそのような気持ちになりえます。例えヨーロッパに来たとしても変わりはありません。季節ごとに雪を降らせ、花を咲かせ、生の喜びを与えられることに何とも言えない気持ちになります。
私の心の叫び、胸の内、実に深いところから愛情に満たされるのです。それが、心臓の鼓動とともに込み上げてきて、息がつまりそうです。昔の人ならば生涯が終りになる年なのでしょうが、まだ生かされております。遠く日本から離れようとも、極真空手に携れる平和を味わっています。歴史の先賢達が築いた平和もまた、私たちに何の見返りを求めていないように思います。
手塚グループのメンバーは、家族ですので、イスラム教徒もいれば、ユダヤ教も、キリスト教ともいるのです。手塚グループでは何のわだかまりもなく、平和に大会を進めることができるのです。
極真空手という四文字にすぎないこの名前が、世界の青少年教育に貢献するとは夢にも思えなったことなのです。かつてこの名前が日本ではざわざわ騒ぎ出す問題を提供しました。朝日新聞が今回の大会で死者が何人出るのだろうかと掻き立て、マスコミも最初は批判的論調でした。
日本でも、時の流れと人々の理解で認知されましたが、外国ではストレートに実践的で合理的な武道に共感を持ってもらい、どんな街でも極真空手はあるのです。いまだに、日本の空手界は、極真空手を受け入れようとせず、国体にも極真空手道ルールを悪戯に否定し続けるのは愚の骨頂としか映りません。
その意識で終わらないのが、手塚グループです。どんな立場で空手道を実践しようが、この空手の良さを伝えて、また伝えて理解してもらおうと必死です。真なる気持ちを忘れず、さらに伝えたい心で歩む私達ということなのです。
そのような意味では、極真空手道に酔って生きているのです。本当の心以外にどのようなことも望んだこともなく空手の素晴らしさを伝えているだけなのです。極真空手の道が険しくても、足をへし折られようが、空手道に捧げた人生は幸福そのものです。
オランダでも、極真空手を伝えていくことに喜びを感じるのです。その気持ちがうねりとなって世界の果てまで流れて伝わっていくのだと確信しているのです。今日は先生ラリーの道場で子供たちに指導します。