2010年1月29日(本部長通信808)
ヨーロッパ選手権大会 グローバルリーダー(7)
日本を出てみるといろいろな面で気づかされます。諸外国の人と出会うわけですから、地球上のあらゆる問題が自分のことのように感じられるのです。解決するまではいかなくとも聞くことができるのです。話を聞くという意識だけは持つことができるのです。
日本にいると、安定的で固定的な所得に執着することや、退職後の年金と平安な家庭を夢見るようなるのです。しかし、世界人としてのリーダーになる事は出来ないと思います。未来に何が待っているか分からなくても、世界が自分の懐に入って、家族であると思えなければ初めてグローバルリーダーということになるのです。
自分の家族で、あらゆる愛情を体験することによって、人類を愛する人類愛、同胞愛というものを学ぶのだと思うのです。お互いに分かち合う家族の姿は、人類が互いに融合する姿と同じなのでしょう。たとえ、自分が空腹でも、兄弟の為に食事を与えることができていれば兄弟愛ということになるでしょう。
ヨーロッパ選手権に参加している国々は、千差万別です。水が貴重な国もあれば、多すぎて困っているところもあります。電気がない場所や、作っている電力を使い方の知らない国もあります。なんでも、一方ではあふれ、一方では足らないそのようなことが世界ではあるのです。
問題は、余ったり、足らなかったりするものを、分配する役割を持つ指導者がいれば済むことです。当然資源についても、石炭や鉄鉱石、希少金属等山のように積まれている国があれば、何もない国もあります。
技術力にしても、農業技術が伝わっていないために、飢える人たちが多いのです。アフリカの場合、ヨーロッパ人が植民地として支配するだけで、技術は何も伝えていないのです。アフリカの貧困を解決するのは技術力を提供するというだけで餓死者はいなくなるのです。
教育現場にしても、教職課程を修了したとしても教師として不適格で、ノイローゼになってしまう人が多いのです。教育学は指導する方法論にすぎず、生徒を自分の懐に抱く人でなければ到底なれないのです。人を育てることに努力しない人に、教師の教育課程を修了して教員採用試験に合格したからといって教師になる事は到底に無理な話です。
息子・娘たちには大学を出て会社に就職し、安定して生きることを選択したとしてもちょっとした成功しか人生おさめられないといいます。しかし、アフリカの難民救済に命をかけて取り組めば、人生充実するはずだと話をします。子供たちがどのように選択するかは各自の心にかかっていることで、親が口出しすることではないのでしょう。
私は政治のリーダーが出てきてしっかり地域を収め、新しい世界を広げてくれる平和のリーダーが出てきて欲しいのです、大志を夢見ることができないじゃないですか。冒険心と開拓精神を持って、人が夢見ること出来ないような夢を持ち、意味ある大志を立て、人々の為にグローバルリーダーとして道場生から出てきてくれること切に願うのです。