2010年1月28日(本部長通信806)

ヨーロッパ選手権大会 志(5)

 もう退屈でどうしましょう。機内の中でそれも窮屈なポジションです。それでも休めないのでパソコンに向かう私です。今日は五本目です。何度でも書かざるを得ない環境です。それで、志を立てるということについて書き始めるのです。志は、自分が生きていく人生の意味を決めることです。私は今日まで、極真で志を立ててきたのです。空手道という道を極めて行くことにしたのです。
 それも、総裁大山倍達と切り口と異にする志なのです。当然弟子ですから、強さを求める指導を受けてきました。それでも私の心は満足しませんでした。しかるに、私が歩んできた道は、空手道を超える歩み方を目指すことになったのです。師範になってどのような人生を生きるかを自分に尋ねていく人生としたのです。
 道場を運営する立場で、道場生の夢を育てたいという意味の志を立てたのです。そのために、血のにじむような訓練をしてきたのです。さらに、どんなに厳しくとも手塚会長について行ったのです。弟子からは、師範それは何とかしてくださいと言っても聞かずに、支え続けたのでした。何故ならば、心に抱いた志が明確だからなのです。明確でなければ、手塚会長を支えて行くことなど到底できず、途中で挫折してのす。しかし、頂点を目指してつらいことも笑顔で進んできました。
 志があるからこそ、自分を守っていく力が湧き、特別な人生を生きていくことができると思ったのです。空手道を極めて師範になるということよりも、もっと大切なことは、当然、志なのです。無条件に空手道を歩む前に、将来自分が何をしたいのかを決め、自分がどれくらい役に立つ人間にならなければならないかを自ら悟らなければならなかったのです。
 師範の場合、空手道を何のために稽古するのかと尋ねて、強くなるためと答える道場生がいるとしましょう。師範は「それだけしかないの」と切り捨ててしまいます。道場は、確かに強く自分を磨いていくかであって、それ自体が目的ではないのです。手段や媒介なのです。金儲けを人生の目的にする人もいます。お金も何かをする手段であった目的ではないのです。
 おかねは稼げば使い道があり、目的もなくお金を手にすれば無駄に消えてしまうだけです。