2010年1月28日(本部長通信805)

ヨーロッパ選手権大会 財産(4)

 飛行機の中です。もう既に退屈を超えてしまっています。機内での二本目の原稿を書き始めました。ちょっと過去を振り返って、家族に申し訳ないのですが、この年齢まで一生懸命働いてきましたが、自分の為に建てた家が一軒でもあるわけでもなく、妻の為の財産があるわけでもなく、子供たちの為に残す財産もないのです。青春時代から人が眠るときも眠らず、人が遊ぶ時も遊ばず、人が休む時も休まず働いてきました。
 その代価は、自分でいったい何なのかと、答えを自分に尋ねるのです。答は、財産家になるために働いてきたのではないということです。財産は私にとって何ら意味を持たないことなのです。多くの人の為に役立たない財産など一枚の紙切れにすぎないと考えています。
 一生懸命働いて稼いだお金は、家族の為、道場生の為、地域の為に使われなければ、ふさわしい財産だと思わないのです。要するに誰かの為になってこそ私の労働は報われるのです。不況の時代で、デフレの真っただ中、報道の視点は何か給料が少なく、大変なことだけを取り上げて誇大に放映しています。
 家族が苦しくても、ほんの少しでも、多くの人の為に何かできるかを考えて、一握りの僅かなお金でも献金するような家族は、幸せそうに映るのです。私の青春で一人暮らしをしていたことは、小遣いが、一万円だけあれば、十分でした。生きていくには基本的な生活用品で十分だったのです。もちろん、寝袋一つで、冬は毛布を中に包めるだけで十分満たされたものです。
 しかるに、大切なことは何を持って生きるかではなく、どのように生きるかだと結論つけていました。物が豊かなことが幸福な条件などとは考えもしなかったのです。そうでなければ、極真会館で過酷な修行などするはずはないのです。ましてや、全日本選手権大会に出っぱなしで一年をたった一試合の為に費やすことなどできないのです。
 どういうわけか、最近の報道を見ると、物の豊かさだけを幸福を意味するように変質しているような気がします。本来、幸福な人生とは、よく生きることであり、それは意味ある人生を過ごすということなのだと思うのです。
 その意味では、私が生涯手中に収めたものを差し出し、身軽になって一生を終えたいものだと考えます。何であの世まで地上から持って行けましょうか。地上のものに執着することは何もありません。幸せというものは常に私たちにあるのです。もし幸せに出会えないとするならば、その理由は、変な欲望が道を阻むだけなのです。欲に眩んだ目は前を見ることができないのです。
 そんなことは、童話や物語で私たちが聞かされてきた内容ではないでしょうか。落ちている黄金を拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくし、ポケットが破れていることにも気がつかないのです。

         私の妻        千順さんに
汗まみれになってあなたと農作業をするのが好きです。
 純情という二人の泉でゆっくりひと時を過ごすのです。
 私とあなたとが子供たちの事を話すという財産があります
聖義・順香・文誉という子供たちがかけがえのない財産です。
 世の中のあらゆるものを買えるほどの財産などありません。
それでも、あなたの笑顔を買う財産はあるのです。
 過ごした日々を振り返るのは私の財産です。
歳月を過ごしたあなたの笑顔は、私の胸の中に住んでいる財産です。
 好きな時に好きなようにあなたと話す財産もあります。
こんな幸せな財産を私は持っているのです。
これからも、あなたが心を合せて歳月を過ごしてくれる財産はありますか。
                            夫 義道から