2010年1月28日(本部長通信803)

ヨーロッパ選手権大会 影のない生き方(2)

 14番出発ゲートで少し待つので、パソコンでまた、何かを残そうとしています。人生そんなに長くないので、自分が考えてきたこと、歩んできたこと、思ってきたことの総決算のように書いている気がします。もう既に800回を超えてきています。書こうとすること、すべて書き尽くせないことが多いのです。
 かつて、宮本武蔵は晩年兵法を綴るとか、絵を嗜むとか、いろいろと武人でありながら、文化人としての足跡も残しているのです。手塚グループとして理論的バックボーンを残しておくのが私の使命ですので、毎日、事あるごとに綴るというのが日課になっています。飛行機に乗り込むということで、幸せの源泉ということで考えてみました。
 私の子供たちも、私の夫婦の結実です。当たり前のようですが、両親がいなければ生まれてきていないことを厳粛に受け止めていない人たちが多いのです。つまり、この世の中に一人で生まれてきたかのように思っている人があまりにも多く見てしまいます。
 つまり、結構自立して、しっかりしているかのように装っている人たちです。誰の助けも受けない人だけに個人主義を主張し、個人主義を語るのです。考えてみてください!世の中に自分だけのために誕生したものなど何もないのです。
 自分だけの為だけに生きる利己的な人生ほど、愚かな人生はないと結論つけます。利己的な人生は、自分のために生きているように映りますが、実際は破滅をもたらす人生だと思います。私が妻のために生きなくて、何ら幸福と関係あるでしょうか。
 妻に対して、私は太陽が真上の昼12時の生き方をするのです。影がない人生です。生き方を正午に定着させます。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛からない生き方です。毎日顔を合わせる妻に隠し事のない生き方なのです。
 こんなに科学が進歩しているのですから、ひらめくのですが、録画テープがいつも私を付きまとっていると無理に思うようにしています。一挙手一投足録画されているという自覚のもとに、地獄へ行くかどうかは自分の人生にかかっていると考えるようにするのです。
 自分の心をごまかしません。その意味で一点の影もないきれいな人生を生きて行きたいと思うのです。その心を原点として、人類を家族として思える心です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じ人間として感じられる心を養うのです。それが幸福であると思うのです。