2010年1月26日(本部長通信800)
人生の原点を自然に見る(15)
自然に更なる関心を人類は持つようにならないと、自然環境の崩壊が凄まじいものがあります。エコ環境が叫ばれ、太陽や風の資源を活用しようとする動きは急速に広がってきています。燃料問題として考えても、化石燃料、油類燃料、電気燃料と変遷してきましたが、ここに来て太陽光発電が盛んになり、エネルギーの補給源はさらに水素資源へとなれば、海がとても重要になってくるに違いないと思うのです。
今後、食糧問題を解決するのにあたって、食料を無尽蔵に作ることができる時代もやってくると思うのです。今の研究では原価が多くかかり過ぎるので、実用段階ではないのですが、今後、太陽光発電や水素資源の研究が開発されれば、エネルギーは無尽蔵になります。
地球の人口は凄まじく増えています。それを補える食料問題を考えると、十二分に満たされる食料自給率を上げていかなければならなくなるのは必死です。それが、私たち子孫が豊かに暮らす道なのかも知れないのです。
しかし、今、日本は、水産業が廃れてきているのです。漁業に携わる青年の減少は目も当てられません。水産業のように海への関心が今後の方向性であると思うのですが、実際は完全に没落状態に陥っているのです。漁業に携わる人の平均年齢が60歳を超えているというではありませんか。
今後どれだけ膨大な資源になるか考えて見ると、太平洋の中に隠された資源を掌握すれば、人類に大きな発展をもたらせます。間違いなく、人類は海洋資源に着目していくはずです。師範の予言です。
師範は、空手のことだけを考えて生活すれば良いとよく言われます。しかし、私の頭脳はいろいろな情報をキャッチして、どのようにすべきなのかをあらゆる観点から考えます。私の生きた人生は数千年を凝縮して発展しているかのようです。一日が千年の如くとはまさに今の時代なのでしょう。
私の立場は、実に世間の利害から離れているようです。空手道が道を求め、さらに未来を求めていくのです。山にこもって坊さんになる訳でもなく、修道院に入って修道すると言うことも無く、あらゆる俗世間に身を置きながら、自分を磨くことが、実に痛快です。