2010年1月19日(本部長通信793)
人生の原点を自然に見る(8)
朝の晴間から、希望を感じながらの活動へ出発です。私は道場へ行けば、考え事を結構するのです。空手道に通じていくと、自分の姿を鏡に映し出して、何十回も考えるのです。このように、考えていくことを習慣化すると、いつかは先が見えるようになります。
私の場合、道場で少し身体を動かしてみると、自分の精神状態もすぐ感じられるのです。つまり、修正することのできる「ホームポジション」を持っているということになります。ある意味で、自分自身に対しての専門家になるのです。空手道は、両手両足そして身体全体を活用します。利き手でない手も使うのです。
それは、主体と対象を実に完成させるためなのです。弱い左手ですが、右手との組み合わせで凄まじい破壊力を生むのです。ある意味で、空手道で使う全身は、肉体運動として肉体の健康のためのものではなく、精神の健康のためなのです。それで心の技を磨くのです。
道着に身を包むときは、自分の一生を回想して、本当にたくさんのことを考えているのです。このような時間をも持つことは、普通の人では感じられない驚くべきことなのです。自分の過去を分析し、未来の生活に対して設計できます。
空手着に身を包んだときは、もっとも重要な時間となるのです。威厳を備えて自分自身を静かに省みることができるのです。それが絶対に必要なのです。これを私は「極真空手道」と呼んでいるのです。