2010年1月6日(本部長通信780)
私は、オリンピックが世界的な冷戦構造を決定的に変えて平和の祭典になっている事実を目の当たりに見るのです。さまざまなスポーツが世界平和の役割を果たしていると実感するのです。
スポーツは人生の縮図のような気がします。いくら自分が練習を重ねて限界を超えようとしても、自分よりうまい選手には、瞬間に優勝を奪われてしまうのです。結局何もなりません。
また、一歩手前まで優勢であったとしても、一瞬で負ければそれも終わりです。選手として戦うのは自分でも、勝利するには自分だけの力では果たせないのです。絶妙のタイミングでアシストしてくれるコーチがいて初めて勝てるのです。粘り強く選手を指導してくれるコーチがいては初めて勝利が転がってくるのです。
さらに、応援してくれるファンの人たちはもっと大切であると感じるのです。直接練習に参加をしようとはしませんが、勝って欲しいという凄まじい執念を送ってくれるのです。多くのファンが出すサインによく気づくとするならば、百発百中勝利を収めることができるのです。
しかし、愚かな選手とは、いくらファンが応援してくれても、その応援に気がつかなければ試合に負けてしまうしかないのです。
話は少しずれますが、競争の激しい世の中を生きていればストレスが多いと思うのです。
ストレスは生活を緊張させ、心の平安を奪い、それが積み重なれば、神経が逆立ちし、公然と争いを起こしやすくなってしまうと思うのです。
そのような緊張状態を健全に解放してくれるのがスポーツであり芸術活動のような趣味生活ということになります。スポーツと芸術は、人間の抑えつけられた欲求を解放することにとどまらず、人と人とを結ぶ手段なのです。