2010年1月2日(本部長通信776)
極真の未来・日本伝統の未来―理想へ(4)

 師範が生きてきた時代は、まさに激動の時代です。過去のどんな時代よりも、もっと多くの事が起きてきました。あれほど猛威をふるっていた共産主義が消えて行った時代でもあります。また、科学技術が進歩して科学万能主義化のように感じた時代でした。
 そう感じた時代からこれからの時代は、ますます科学が発展して、便利になっていくでしょうが、人間の精神世界が無くならない限り、武道精神は人の心を貫いて必要性が増してくると感じているのです。
 私たちが、追求している武道は、より良い家庭と地域社会を築いていこうとする役割を果たさなければ意味がない事です。極真空手を発展させようとする理由は多くの人に平和と幸福をもたらせようとする事に他ならないのです。家族の中に混乱や亀裂そして崩壊が無いように訓練するところでもあるのです。私たちが描く家族や地域社会は、平和でありたいと願う社会であるのです。
 混乱を引き起こすトラブルの解決に当たる精神的よりどころを武道精神に求めてきました。特に極真精神が全てだと言って主張するつもりは全くないのです。家族が平和と和解、共生の為に一生懸命努力することが何よりだと感じるのです。道場に来て家の中がおかしくなるようでは、師範はもう道場には来るなといいますし、稽古で学んだ事を家庭で生かさずして何になると説教までしてしまいます。
 何故ならば、道場で汗を流し、自らを鍛えることは、あくまでも手段であってそれ自体が目標ではないと訴えているからなのです。極真精神として、それだけを主張するつもりは毛頭ありませんし、そんな事を思うようでは包容力の無い馬鹿げた精神態度しか生まれてこないのです。
 師範の精神は過去の指導者のように、極真空手を前面に立てて、同じ群れを固めることが続くとするならば、争いを繰り返すばかりと考えるのです。主義・主張の時代は終わりをつげ、習慣と伝統を越えなければならないと思うのです。それゆえ、どの主義も、どの思想も、来るべき未来を切り開く事が出来るものでなければならないのです。
 まさに、家族と地域を平和に導く納得のいく考え方であればそれが最高なのです。どんな主義や思想や考え方でも、平和と幸福が前提だと感じさせられるのです。それゆえに、命がけで極真空手で訓練したのも、まさにこのような理由からなのです。