2009年12月25日(本部長通信768)
師範の思うこと(4)
今回の後援会長を引き受けた決意は、政令指定都市仙台が、21世紀にふさわしい教育環境を作ってもらいたいからなのです。ある意味で、市全体が大きな寺子屋としたいのです。悪ガキがいたら、どこのおじさん、おばさんであろうと、怒って正す環境なのです。今の時代に、時代を逆行するような言葉ですが、寺子屋なのです。
この時代に、いにしえの寺子屋づくりを進める政治家がいても良いではありませんか。全てを合理的に、対処する教育ではなく、人間としての絆を結ぶことができる環境こそ大事なのです。私は、私利私欲の議員を推すつもりはありません。損得勘定で立候補する人間には消えてもらいます。
至る所に、コミュニテーセンターや、市民センターがあります。ましてや、小学校、中学校と放課後には教室は有効に使えます。人材面でも団塊の世代の人たちが、退職し能力を新たに出し切る環境があれば、即戦力です。環境を整えれば最後は人です。人と人の深い交わり、これぞ寺子屋思想なのです。
たまたは、私は極真空手の師範になっています。青春時代の夢と理想が、故郷で空手道を指導する宮城県の責任者になっているのです。寺子屋思想、仙台市、この宮城野区で実践しました。私の指導を受けて、全日本で活躍する子供たちが大勢表れてきました。私の過去の実績が寺子屋として生かされたのです。
愛情を持った社会を作りたいというは、青春をかけて培った空手の指導をして、子供たちとの信頼関係は素晴らしいものがあります。実際に寺子屋をやって子供たちは無限の可能性に挑戦できたのです。私だけではないのです。これからの多くの団塊の指導者が寺子屋の先陣を切るに違いないのです。どのような業種だった人にもそれは可能な筈です。ある程度成熟した大人なら子供たちに愛情を持って接することができるはずです。私の寺子屋思想に共鳴してくれる議員が必ずやいるはずです。そのグループをまとめ上げたいのです。
私は理念だけで終わらそうと思わないのです。いい事を言っても地に着かないのです。私の極真空手道の実践からして現実可能な寺子屋方式であると感じるのです。今の政治家にできますか。寺子屋の先頭切る政治家がいるでしょうか。偽りの実践不可能内容ではないのです。寺子屋の原点を私が実践してまいりました。これが寺子屋の原点です。
私の政治に対する期待の内容は、あくまでも寺子屋の実践にあります。私は今まで実践したことしかできないのです。あくまでも子供たちの教育をする政治家です。愛情を持ってやっていける寺子屋のおじさんグループの創設を願うのです。たまたま私の場合、一つの寺子屋が空手道ということだけなのです。崇高な理想を抱く政治家がいてもいいのではないでしょうか。