2009年12月14日(本部長通信757)
私の歩み(44)大山倍達の弟子の誇り
極真会館は1994年大山総裁が無くなると内部での分裂団体となってしまいました。この団体をよりよい団体にしていく闘いの責任をいつの間にか担わされてきているのです。このまま極真会館を分裂させ続けていくことは出来ないのです。お互いが大山倍達の弟子であるがゆえに、この悲しみは無くさなければならないと感じるのです。
私たちの空手着は白色です。それは、武士道としていつも生命をかけて歩むという決意の表れなのです。特に空手に関しては、武器も持たず、自分の身体そのもので守るという武道なのです。今まで、人類歴史は多くの血を流してきました。しかし、空手道を歩むということは、地域社会と家族の平和と道義を守るということなのです。
大山総裁の「倍達」は、世界に極真空手道を伝達する配達人という意味なのです。この名前は韓国民族の古典的な名称なのです。「倍達」と「配達」はハングルで共に「ペダル」と発音するので、掛けて表現しているのかもしれないのです。この件に関しては私の持論です。
つまり、空手道を通して、大山総裁は、生死をかけて白装束で夜も昼も地上最強の空手を伝達して回る運命の人だったということになるのです。極真空手を実践するということは、地域社会から韓半島そして中国・ロシアともっと大きな平和の道義を達成していかなければならないと心得るのです。大変な事ですが不可能ではありません。実際、ボリス師範率いるロシアの空手が息づいているのです。
私は、極真空手で流す汗や涙は、あらゆる問題を残らす全て取り除いてしまうものであると考えるのです。心の中の邪悪な考えや、ありったけの、あるまじき心を全て流してしまい、未練も残らず綺麗に整理してしまうのです。稽古で、自らの心に弱さに打ち勝ち、綺麗にしてこそ極真空手道の息づくものがあるのです。
それがゆえに、私は今ロシアに来ているのです。ボリス師範に来年も来ると約束させられました。それは、極真空手を通じての人と人との間の信頼関係を構築するから他ならないのです。極真空手で信義が通じるのです。真実な心で互いに結ばれれば、越えられない障壁は無いと確信するのです。
その信頼関係がこれから世界中の極真メンバーと特別な関係が続き、力を尽くして家族としてのこのグループの役割を担うことが出来るのです。それは、信頼関係が全てを物語っているのです。