2009年11月28日(本部長通信741)
私の歩み(28)真心の本部道場

 2002年3月に手塚会長と再び出会うのです。かつて、会長は自らの会長職を投げ打って一人極真としての道を歩んでいました。私のこれからの道は、一人極真で歩んでいる手塚先生と共にグループを築くことでした。4月には支部認可を受け、5月には第一回審査会をするのです。今もそうですが、それ以来、一番弟子として歩みを共にすることになるのです。
 手塚会長と再会し、会長から信頼される中、生命を与えられているという喜びをかみしめることができるようになりました。この時以来、手塚グループとして世界を巡回指導する立場に立っていくのです。
 しかし、現実は、時間割で借りている教室での不自由な稽古内容でした。秋田から転勤で所属してきた武田氏は、稽古をいつでもできる環境が欲しいと懇願していました。小さくても値打ちがない建物でも、常設の道場が欲しいという願いが道場生の共通の願いになってきたのです。
 その頃には、宍戸氏、佐々木氏、小野寺氏と今の指導者が集まり始めてきたのでした。道場生が、毎日稽古できる道場はどうしても必要であると私も自覚してきたのでした。そこで、五百万程の借金をして、青葉区中江に常設道場として出発する事になったのでした。
 すっかり荒れ果てた倉庫を借りたのです。非常に小さな建物でした。その建物は、正に、倉庫で、柱といわず壁といわず、真っ黒な汚れだけが目立っていました。建物を道場らしくしようと、そこから、床を板張りにし、壁にコンパネを入れて、ぶつかっても壊れない側面にして、道場としてのリフォームを一カ月以上かけて手直ししたのでした。
 貧しいながら本部道場が完成してみると、やろうとすることが心の中にいっぱい浮かんでくるのです。そこからが、自分の精神誠意投入していくことになったのです。何度も何度も自分に言い聞かせたのです。この道場から大きく育つ人材が生まれるであろうと確信したのでした。間違いなく、世界的な人材が育成されるであろうと予感させられたのでした。
 常設道場が開かれると、生徒が本当によく集まってきました。一人ひとりを記憶に叩きこんで名前を覚え、生徒の顔が頭の中をしきりに行き交うようになりました。生徒がどんな状態で道場に向かっているのかいつも気がかりになったのでした。常設道場は私に神通力を与えてくれたようでした。
 生徒がいくら増えても、私は一人だと思って向き合ったのでした。どんな生徒でもその一人だけを相手にするような思いで精いっぱい真心をこめて稽古しました。