2009年11月27日(本部長通信740)
私の歩み(27)二人の師範代

 指導者として立ち上げて出発した私でしたから、どんな試練でも耐えて行こうとする気構えでした。弟子の菅野氏も仙台道場へ出向いて、私とこれから共に歩むことを宣言するのです。当然空手着を着用して稽古に励み、今では揺るがない菅野師範代として四段の位を認可されているのです。
 さらに、仙台道場側として私に対峙していた大友氏が一番町にある自宅兼「まるよし」というそば屋が建て替えの為半年間の休業を余儀なくしていました。なぜ私が極真空手を継続するのかの意義と、これからの展望を毎日のように話しました。師範としてその存在を認めてくれたのでした。さらに、仙台道場側の壮年に真実を話す機会を設定して多くの道場生の同意を得るにいたったのでした。
 その大友氏は苦しい時にあらゆる協力をしてくださり、今の宮城県本部の礎を築いてくれたことは真実なのです。そして今は師範代として五段の段位を許可されているのです。師範として出発した時は、台風にさらされ、小さな苗木であったのでしたが、吹き飛ばされずに、残ったのでした。強い信念を抱き、堂々と歩いて行けば弟子が信頼して共に歩んでくれるのだと今更ながら感激してしまうのです。
 一連の試練の中から、考えさせられるのは、要するに、私が何か誤った事をしたわけではなく、同じ極真でありながら、既得権の漠然とした危機感と、私に対する度を越した警戒心から生まれてきた内容だったのです。
 さらに、二人の師範代が私を信頼してきたのは、衣食住を保証するとかということではなく、二人の師範代達の行き詰った心に、極真精神という道を開いてあげたからだと思うのです。答えを得られずに過ごした人生の中で、極真精神を肌で感じたのです。私が稽古する中で、師範代二人が各々観点は違えども、本人たちが解答を見出したからなのです。私と共にいく道が厳しく険しくとも、今も歩んでいるのです。