2009年11月26日(本部長通信739)
私の歩み(26)真実を知って集まる道場生

 結果的に追い出された立場の私でしたが、これによって私を挫折させることはできないと思い起こさせました。一番町での師範代の時も一人から始まったのだから、榴岡軽体育館で出発する私が滅びるはずがないと。さらに、このような立場で消えて行く自分ではないと。ここで全てを失うことはできないと。さらに、この試練は世界に向けて跳躍するための踏台であると思いました。
 師範代として、世間の為の役立つ人材を育てたのだろうかと何度か自問してみました。悪が滅びるのが道理であるから私が滅びるかと再三考え抜きました。どんな立場に立とうとも真実の心を失わなければ滅びないであろうと自分に言い聞かせていました。実際、仙台道場から偵察が来て、教室に入って、後ろでふてぶてしい態度で見つめ、ある時は、物陰から眺めて本部の道場生を引っ張っていないか等チェックしていました。
 いろいろと偵察されても、私はおびえることも無く、自分の道を行くべきであると意を決していました。偵察に来ていれば、誰も私のところには近づかないであろうという目測があったのでしたが、サポートしてくれたのが、袋原内科医院の院長の熊谷先生であり、佐々木薬剤師であり、私の弟、森事務長でした。どんなに心強かったか今思い起こしても涙が流れてきます。
 さらに、物質的援助もしてくださいました。キックミットやサポーター等、練習に必要な道具を備えて下さいました。そうするうちに、今の菅野師範代が道着ではなく、運動着を着て、指導に当たってくれたのでした。また、偵察の先鋒を担いでいた大友師範代が、私の歩みをしっかり見つめて、善悪の判断を下してくれたのでした。
 仙台道場本部では、私が一から始める姿を観て、道場は潰れ、道場生も集まらないだろうと予測していました。しかし、そうはなりませんでした。仙台道場時代に指導したメンバーが争うように訪ねてくるのです。さらに、私がいわれなき濡れ衣を着せられていると報告をしてくれるのでした。良識ある壮年の人たちがこぞって私の指導を受けに来てくれたのでした。
 仙台道場本部で私の悪口を言えば言うほど、私が、孤独であればある程、私の力になってくれる人たちが増えて行ったのでした。私が空手の指導が上手であったから、私の道場を訪ねてきたのではないのです。私と信頼関係が築かれていればこそ、私の下に来たのだと思うのです。すなわち、私の真実の心を理解してくれたのでした。