2009年11月24日(本部長通信737)
私の歩み(24)世界へ羽ばたく人材育成への決意

 個人から世界へ通じる歩みを故郷で実践したいという気持ちが高まってきました。今までの人生を土台に世界戦略を立てたいという思いが正直な気持ちでした。今まで、歴史上の人物、例えば、故郷の伊達政宗は、伊達藩から世界を見つめたのですが、私の場合、日本と世界を観てきて、世界へ繋がる道をどのように選択していったら良いかということでした。世界巡回の経験が物を言います。
 世界を観てきたという自信は、学問や書籍で感じることができるものではなかったのでした。肌で人々に触れ、その感触を実感したのです。当時大学院経済学部の特権で、税法と会計学の二つの修士課程を修了すれば、税理士になる道がありました。税理士の人々からすれば、裏技のような資格取得の方法でした。それでも、私にはその可能性が100%あったわけです。
 しかし、最初の志からすれば、税理士は日本の国内にとどまってしまう仕事としての選択ということになります。やはり私の意にそぐわないのです。大学院に入って税理士資格を取得する人々を横目で眺めながら、進んでいったのが、個人から世界へという内容を満たしてくれる極真空手ということになります。したがって税理士は捨てたことになります。
 当時、一番町広瀬通りに仙台道場がありました。誰も、指導者がいなかったので、すんなり師範代という立場で夢と挑戦の実現を叶える歩みが始まったのでした。それでも、弟子は誰もいないのです。原点からの出発が再度なされたということになります。そこで、一番弟子として門を叩いてきたのが池田大輔でした。予備校生でしたが、神戸医科歯科大学に入学していきました。それから様々素晴らしい人材が育っていきました。
 その自信を得て、世界的人材を育てるのが自分の使命であり役割であると天命を感じさせられたのでした。私も世界を股にかけたいし、私に従ってくる弟子たちも世界で活躍する人材として育てたいという確固たる思いが芽生えてきたのです。
 すると、過去私が歩んだ人生と、これから歩もうとする人生が、極真空手という一点で結合し、再び跳躍できる道が切り開けてきたではありませんか?これは、正に、私にとって、モーセが紅海を二つに割ってその道をイスラエル民族が渡っていくように思えたのでした。ユダヤ民族の指導者モーセと私が一体化したような瞬間でした。
 過去に後悔することなく、後から迫りくる困難、前方に道はなく、ただ海原だけが広がっているのです。私自身が生命をかけてきた極真空手という杖で、紅海を二つに分け、道を見出し、大きく前進する糸口を見出したのでした。