2009年11月23日(本部長通信736)
私の歩み(23)一大転換期
アラスカの大自然は、過去の全てを清算するだけの迫力がありました。第二の人生の出発です。年齢も40歳、定年退職と思い自分の新たな人生です。故郷へ戻って、両親と5人の家族の地域社会への貢献が自分のテーマでした。アラスカからお土産として持ち帰った釣果の魚と共に、勢いよく日本へ帰ってきました。
和歌山から仙台へ向かう境地は再び踏みしめる故郷の街並みへの期待でした。実家の近くのマンションに住みましたが、二年間は、以前の仕事の延長と整理ということになりました。この時覚えたのがゴルフでした。時間がありましたから、レッスンプロに指導を受け、何度かコースに上がってスコアーを伸ばしていきました。本当にゼロになるのに二年の歳月がかかったということになります。
ゼロベースになってこの故郷で出発できるのかという決意なり覚悟を持つ為に、出かけて行ったのが世界の政治の中心アメリカワシントンでした。ワシントン広場で、リンカーンの銅像を観ながら、歴史を変えることはどういうことなのかを考え、世界と自分との関係を模索するにもワシントンが最高の場所でした。ここに一週間留まって模索したのでした。
そこで、気高いビジョンとして始めたのが、大学入学ということでした。四十の手習いとは良く言ったものです。二十歳そこそこなら、妻も両親も驚かないでしょうが、大学へ行って勉強するということに度肝を抜いたのは、周りの人々全てでした。理由は、これからの時代はグローバルスタンダードでなければ無ければ役立たないという結論に至ったのでした。
しかしながら、大学受験というと大変な事でした。四か月の受験勉強の後に、入学を許可してくれたのが東北学院大学ということになります。経済学を専攻しました。四年間は、勉強を本格的に取り組んだのです。それだけで満足せず、大学院に四年間通ったのでした。それもこれも、グローバルスタンダードの原点に立ちたいということが発端になったのでした。