2009年11月17日(本部長通信730)
私の歩み(17)本部直轄大阪道場時代(津浦師範)
東京で四年の歳月が過ぎて、三十四歳になると全日本大会に出ることに対して、ためらいが生じてきました。当時三十四歳を超えて現役というのは私ぐらいのようなものでした。東京生活にも飽きが来ていたころなので、会社の支店を大阪心斎橋に出すという名目で、早速、天王寺区寺田町に住居を構えました。
このころになると、すでに、千順さんとは家庭を築いて、聖義も生まれたばかりということになります。大阪本部直轄道場は、道頓堀の繁華街の真っただ中の、ビルの地下一階にありましした。道場生は、稽古が厳しい事もあって、途中の店につかまって、たどりつかないのです。
大阪本部なのに、稽古の時間になっても十数人しか集まらないのです。在籍数は多いのですが、途中でどこかのお店に下車して辿り着いた人数だけで稽古が始まりました。津浦師範の稽古は、今までの稽古と違って、細かい点のチェックで始まります。体力的には楽なのですが、細かいところの修正になるとかえってストレスが大きくなってしまいました。
大阪には選手クラスもそんなにいなかったせいで、少し組手をすると、いじめ役に回ってしまうようでした。特に本部から来た、全日本選手ということで、注目ナンバーワンです。この道場で、5番目という道場なので、同じ極真会館でも道場の雰囲気がまるっきり違っているので面喰ってしまいました。