2009年11月16日(本部長通信729)
私の歩み(16)充実した本部時代

 本部道場での練習は忍耐ができたのでした。何故なら、本部に移籍した時は、すでに広島から上京し黒帯であったからだと思います。1983年3月忘れもしない初段に昇格した時でした。これが私の誇りであり、自信ということになります。どの道場生が激しい稽古の中、疲労困憊して痩せて行くのに、私はこの時から体重が増加していくのです。
 本部で稽古を始めた時は、体重が80キロであったのに、本部から全日本に出るときは100キロを優に超えていました。当時100キロを超える選手は少なかったので、とても優越感を感じたものです。当時の100キロ超は、実に筋肉だらけの体重だったのです。この時何故体重が増えたのかと思うと、心に確固たる志があったのだと振り返るのです。
 三十歳を迎える頃が心身ともに充実していたのではないかと感じています。また、一番強かった時でもあります。もちろん、千順さんはおりましたが、あくまでもプラトニックラブを続けていました。夫婦としての絆は自分の納得する自分としての確立を目指すということにこだわっていたのでした。この時期は人よりも何倍も熱心に稽古をしました。
 私は、この時期は、人々と時間を見つけては話しました。私の周りには、道場生であったり、会社の人であったり多く集まって来てくれました。心通じる人たちとの交流は実に温かいものです。この時期に、生涯を共にする人を得たのでした。思い出すと、居酒屋大都会や、つぼ八、万次郎、いきつけのすし屋等、朝方まで開いている酒場で交流を持ち続けたのでした。師範は酒を飲んだのかって?ウーロン茶での付き合いでした。
 この時期出会った友は、血肉よりももっと濃い絆で結ばれた、私の骨肉のような存在でした。今でも、一人一人の名前と顔が浮かんでくるし、真心から愛情を注いだ人たちです。お互いに忘れることができない人たちです。