2009年11月13日(本部長通信726)
私の歩み(13)厳しい稽古

 札幌での空手修行は、厳しい内容が秘められていました。良く先輩方に、「お前は柔道出身だろう。空手と柔道は全然違うからな」と脅迫されるようにして、良く組手をやらされました。素人の私は、蹴りなど受けたことが無いので、下段蹴りの強烈な打撃が足元を襲うと立ってもいることができず、その後、一週間ぐらいは足を引きずりながらの生活でした。
 それでも負けず嫌いな私なので、柔道の小外刈りのタイミングで、先輩方を床に倒すのです。その技を受けた先輩は、面子があるがゆえに、今度はパンチの連続です。肋骨が何本か折れそうな音をさせながらも、止めなのです。最後は手を挙げて「参った」と言って初めて解放される有様でした。それから、肋骨が折れて、呼吸をするのにも苦しいのです。
 柔道出身の私は、当時の表現で、潰しにかかられたということになるようです。当時の極真会館は、「地上最強の空手」として、映画が大ヒットし、ブルスリーやジャッキーチェーンその他の格闘技が盛んだった時だけに、極真会館の門を叩く人たちは、一日に何人もの人が来ていたのでした。
 ましてや、道場が狭いものですから、収容できないことを良い事に、入門当時から、辞めさせても良いという先輩方の意識だったので、厳しい稽古が付きものでした。組手は口から鮮血が飛び散り、道場の床を濡らすのです。何度も気を失っても、バケツ一杯の水をかけられ、意識が戻ればまた組手なのです。とくに、パンチがみぞおちに入ると、食道を通って上がってきた胃液が口からはき出るのです。さらに、目の前が真っ暗になって、屈みこんで何も見えなくなってしまうのです。