2009年11月7日(本部長通信720)
私の歩み(7)大業をなすには自己修業
私の空手道の原点は、心身を鍛練してこそ、人の為に役立つ人間になることができるという気持ちでした。その考えの影響は、当時、テレビドラマで、柔道の「姿三四郎」を放映していたのですが、「人に勝つより自分に勝てと言われた言葉が身にしみる」とう言葉が座右の銘になっていたのでした。
私の心掛けたことは、一切の自分の中に湧きあがる性的な欲求とあらゆる欲望に振り回されないで、良き気持ちの意思通り、コントロールすることだったのです。さらに道着を着て正座して、瞑想に耽り、厳しい極真空手の修練によって、自分を鍛えました。その事ゆえに、今でも若い弟子にも相変わらず、負けない程、動きだけは青年のように身軽なのです。
極真空手の修業は、まさしく、自分の気持ちと身体を鍛えることだったのです。いくら名刀でも、磨かなければ錆ついてしまいます。そんな気持ちで毎日自分という刀を鋭く磨き、私自身を名刀にするという気持ちで毎日至誠を尽くして努力をしていたのでした。
また、自分でも正しい会話がしたいと思い、テレビのニュースなどは、アナウンサーと一緒にしゃべるのです。テレビに向かってオウム返しのように何年もしゃべり続けました。それゆえ、東北のズウズウ弁ではなく、綺麗な標準語を話せるようにと訓練したことになります。そして話をすることは、苦でなくなっていたのでした。
それは、自分がインプットした自己修業の内容を、できるならば多くの人に伝えたいという気持ちでした。空手の修業年数が長くなると、帯の色が白から級が上がり、一人前として段の位を与えられます。その意味では、空手道として究めた道を多くの人に伝えたいということでした。人間として当たり前な道、それが極真空手道に見出したのです。