2009年11月6日(本部長通信719)
私の歩み(6)究める道
私は非常に悩んでいました。自分の行くべき道を両親には話さなかったのです。心の中に、自分ひとり抱えながら、友達にも理解されることがないと思い、高校を卒業するや否や目的に向かって歩みだしたのでした。それは、自分探しであり、社会貢献への序章だったのです。
極真空手道を、強くなりたい為に始めたのではないのです。人を信じることのできない自分に嫌気をさしての事なのです。人を批判してしまう自分に嫌気をさしていたのでした。人を憎むし、信じることができないし、さらに、騙されてしまう自分に、恨みが残るのも嫌でした。強くなれば、その心を乗り越えられると思ったのでした。
さらに、放浪の旅に再び出発したのです。放浪は、北陸の石川、富山、福井、新潟と三カ月をかけて渡り歩きました。地方の田舎を回ると都会へ行ってみたいと思うようです。東京へ夏ごろには到着します。新宿、池袋、吉祥寺と都会の人ごみの中で埋もれたのでした。秋ごろには、北海道へ行こうと思い、津軽海峡を渡ったのでした。
北海道では秋の自然に出会い、北海道の自然のスケールの大きさに感動しました。寒くなる冬には、東北地方に下りてきて、福島県の郡山市、福島市と寝袋一つで歩んでみました。放浪の旅が一年を過ぎようとすると凝り性もなく南に渡るのです。九州、四国、中国地方を回りながら、多くの人に出会いました。山へ行けば林業に携わる人、海に行けば漁師の人、町では、商売を営む人、工場に勤める人、様々な人との出会いをしたのです。今振り返れば、空手道を追求する序章だったのです。
なぜ、武道を追求する前に、全国を行脚したのかと自分に尋ねると、自分が修業しなければ、社会貢献はできないと自覚したからでした。空手の道を究めようとすると、常に全力で投入して、肉体の痛みや苦しみを乗り越えて、目的に向かって進むのです。空手道の道は執念が必要なのです。私の心は執念の塊のような存在なのです。骨が砕けようが相手にぶつかって行きます。その意味では、頑固一徹と言って過言でないのです。
一度しかない人生を、極真空手道を追求するということは、当時、エイリアンか気が狂った人か、あんな人間を超越するようなことをするのは、余程のバカ者ということになります。まさに、誰もやらない、誰も登らない道を通じて、修業をし、人としての道を究めようとしたのでした。