2009年11月5日(本部長通信718)
私の歩み(5)人生の方向性

 私は、中学校を卒業するあたりで、将来像を描き始めました。テレビ放送の中で、六大学対抗戦で、早稲田と慶応の早慶戦に興味を持ったのでした。「都の西北早稲田の杜に」という歌が飛び込んできて、大学に行きたいという願いが心をよぎってきたのでした。
 何か早稲田大学には、日本の将来を左右する指導者としての教育があるのではないかと漠然と思っていたのでした。高校に入って、学生運動がテレビを賑わし、ゲバ学生が大学紛争に映し出されると、早慶戦のあの漠然とした夢はもろくも崩れてしまったのでした。この大学に入っても社会を良くする教育を受けることはできないのではないかと感じてしまったのです。
 そこで、高校時代は、柔道をする傍ら、「私は何だろうか」「人はなぜ生きるのか」「人は死んだらどうなるのだろうか」「なぜ人は憎しみ合って対立するのだろうか」など考え始めたのでした。実に深い本質的な事を自問自答するのです。仙台高校に入学してからは、そのような事を思いめぐらし、大分老けた高校生のようでした。
 その高校も高学年になる時、社会の為に何かできるのかと、結局放浪の旅に出たことになったのでした。最初は東京を中心とした周辺地域、次には山梨県、そして、神奈川県と寝袋一つで歩き回りました。親も教師も、高校だけは卒業しなさいと何度も説得するのですが、効かないのです。そして、放浪する中で掴んだことは、世の中は多くの悲しんでいる人たちが多いということでした。それが分かって、卒業までには家に帰って来ました。社会を良くするためにどうするかという疑問をぶつけながら、自分を修行者のように、自己創造の道を、極真空手に見つけたのでした。