2009年10月5日(本部長通信687)
人間関係(37)師範の指導(32)
今の師範を根底から支えてくれたのは、私の母親なのです。幼年の時のしつけは厳しいものがありました。小さい頃は、家の手伝いが当たり前で、洗濯、掃除、風呂焚き、買い物、さらには、小学校5年生から新聞配達なのです。すべて言いつけられたまま、絶対服従という家庭でした。でも母親の愛情は最高でした。
今でも思い出すのですが、四歳の時、高圧線の鉄塔の頂上まで登って行ったことがあるのでした。家の敷地内に東北電力の鉄塔は、いつしか制覇してみたい幼い子供心の私の思いでした。高圧線が何であるか知ることもなく高い鉄塔の頂上も目指して、登りつめていきました。もう少しで、高圧線に触ろうとするとき、下から母親の唸り声が聞こえてきたのでした。「よしぼう、あぶない!」
眼下を見下ろせば、母親と近所のお母さんたちが見上げていました。私の目的は高圧線を触ることでしたので、驚きを隠せませんでした。その後母親が、登って来て、私の足をしっかりサポートしながら、降りて行きました。その後母親は、マッチ棒に火をつけて、高圧線がどんなに熱いものか私の腿に押し当てて泣きながら示すのでした。
母の眼には涙が溢れていて、私が鉄塔から降りてきて、生きていたことに対しての有難さと、息子を絶対高圧線に上らせないという決意で私を叱りつけていました。母親の命がけのあの行動がなければ師範は、当然今地上に生きていないという事になります。それだけに、母親の深い愛情に今更ながら感謝の念でいっぱいになるのです。