2009年9月23日(本部長通信675)
人間関係(25)師範の指導(20)

二千五百年前に、中国の賢人老子が、私たちに語りかけてくれる内容があるのです。「川や海が数知れぬ渓流の注ぐところとなるのは、身を低きに置くからである。それゆえ、川や海は諸々の渓流に君臨することができる。同様に、賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。」
人に押し付けるよりは、自分で思いついた意見のほうを、われわれは、はるかに大切にするものであります。いかにも、自分は指導者だという態度ははなはだ迷惑な事です。かえって指導者は暗示を与え、結論は皆に出させる方がよほど利口なのかもしれないのです。人に押し付けられているのだとか、命令されているのだとかいう感じは、誰にしろ、いやなものなのです。
それよりも、自主的に行動している方がはるかに好ましいのです。自分の才能を発揮することは、とても嬉しいものなのです。この道場ではボスはいないのです。命令する人は全然いないのです。みんながお互い、思いついた発想を大切にし、それを実践できる環境としての道場があり、自由に発展的な歩みをするのです。人に押し付けるような体制は存在しない道場なのです。