2009年9月4日(本部長通信656)
人間関係(6) 師範の指導(1)

 極真会館宮城県本部は、あらゆる岐路に立ちながら、いまだに継続しているのです。宮城県本部の指導者に対しても、道場生に対しても変わらない師範の気持ちが込められているのです。道場生に最大の関心を寄せているのです。道場生から師範は尊敬されようとするよりも、道場生に対して純粋な関心を持ち続けているのです。
 師範には不思議な本能があるのです。多くの人たちは、自己中心になって、孤独と絶望の中に住み続けることもあるのです。師範の場合、朝も、昼も、夜も、ひたすら道場生の事を思い続けているのです。それゆえ、孤独とは無縁なのです。道場生がいるのでその世界とは全く関係ないのです。
 師範が今死んだとして何人の人が葬式に参加してくれるのだろうと思うのです。ひたすらに多くの人に関心を持ち続けて指導している師範は、確率がどうあろうが、関心を持って指導した弟子たちが参加してくれるだろうと思うのです。多くの人に関心を持たなければどうして、師範という人物に関心を持ってくれるのでしょうか。
 今までの人生を振り返ってみて感じることは、波乱万丈でした。それでいて、「苦難の人生を歩んだか」と心の中に問いただすと、そうではないという結論が帰ってきます。「多くの迷惑をかけたか」というとまたそうでもないと思うのです。さらに、「人生に失敗したか」というと否と答えるのです。
 師範は実に稽古の中で、道場生が大好きでたまらないという指導をするのです。人情の機微もしっかり心得ているので、指導の動き、基本、移動、話し方、顔の表情など、前もって準備を積み、タイミングも一秒の狂いもないのです。素晴らしいと思いませんか。何故なら、道場生を心から愛しているからなのです。