2009年8月14日(本部長通信635)
文誉の中学時代

 文誉が空手を通じて、特に成長したことは、リーダーシップということになります。学校のクラブ活動は、ソフトボール部で一年二年と頑張って、三年はキャプテンを務めるようになりました。もちろん、ピッチャーなのです。みんなのまとめ役という事で能力を発揮し始めました。中体連では、文誉のソフト部での華麗なピッチャーの姿を一目見ようとバックネットに陣取って応援していました。
 学習能力も三年になると本領を発揮して、公立高校を狙えるところまで伸ばしてきました。三年の受験の時に、食堂でテレビを見ている時、あまりにもわがままな態度をとるので私の雷が落ちました。冬の夜の寒空に裸足で連れ出しての説教でした。
 大声で怒鳴るので、通行人が携帯で警察を呼んだものですから大騒ぎになりましたが、父として言わなければならないことは例え警察沙汰になろうとも徹底するという私の主張でした。娘は親父の意図を酌んで反省してくれたのでした。私の雷も半端なものでなく、精神誠意ぶつけるので、大騒ぎになるのだと思うのですが、これも親父の特徴で直すことはないのです。
 受験は、推薦入試でも、枠から外れ、実際の本番の入試でも不思議に不合格になってしまったのでした。実はこのことが、文誉の人生に幸いしたのでした。尚絅女子高等学校に入学ということになったのですが、それからの、勉強の足跡は一度もクラスでトップの座を譲ることのない意欲をむき出しにした学生生活になっていったのでした。