2009年8月10日(本部長通信631)
文誉の誕生(3)

 新しい家での文誉の成長は、激しいものがありました。絶えず順香と張り合うのです。お姉ちゃん以上になろうとする気持ちが絶えず文誉の行動に表れてくるのです。それでも三人の子供たちですから、騒ぐことは近所両隣天下一品なのです。
 隣の家は、町内会長さんで、老夫婦でしたが、三人のうるささに大変な思いをされたのではないかと思うのですが、苦情の一言も言わず、子供は町内の宝だからと子供たちに愛情を持って対応してくれたのでした。
 新しい家に入ってその冬、文誉に事件が起きました。ストーブを焚いて、風呂から裸三人で跳ねまわっていたときに、文誉のお腹から鉄板部分の上部に身体を置いてしまったのでした。お湯でなく、ストーブの炎の熱そのものの火傷でした。私たち夫婦は病院へ直行ということになりました。
 中嶋病院の待合室は重苦しい雰囲気になりました。手とお腹に痛々しい火傷の跡は、一生消えないのではないかと娘だけに心痛めたのでした。文誉もこの事は、自分の脳裏に焼き付いて離れないようでした。しかし、今は、ほとんど目立たなくなっています。皮膚の回復力の凄さを感じてしまいました。
 三歳になるや否や、五条保育園に預けることになりました。三人の子供が長男を筆頭に保育園生活です。私が送り迎えの責任者でした。私は無謀にも大学に入学をしてしまったので、子育ては私ということになりました。三人をよく連れて行ったのは、シルバーセンターの温水プールと健康ランドでした。文誉も泳ぎは、その甲斐もあって上手に泳ぐのでした。