2009年8月9日(本部長通信630)
文誉の誕生(2)

 聖義・順香・文誉と三人の子供に恵まれました。少し残念なことに、もう千順さんとの出産は終了という現実でした。文誉の名前の原点は、歴史以来誰も成し遂げることのできないことを果たしてくれるという勝利の栄光を見出した名前でした。この子供は、エデンの東の姉妹版として、世界の恩讐を乗り越えて、恨みを愛に変えていけるエネルギーを授かった子供であるとの確信のもとに育てた気持があるのです。
 数か月が経ち、文誉も這い這いするようになった頃、妻との相談の結果、仙台にUターンするという事に決定したのでした。文誉は妻の実家である広島経由で仙台に帰ることになりました。和歌山生まれでありましたが、和歌山の風土とは僅かばかりの期間を過ごしたことになりました。
 仙台に帰ってきてからは、私の両親がしきりに子供たちに会いたがるのです。父も母も、文誉を抱っこしては、何度も可愛がっていました。小さいし、可愛いし、ちょうど一年未満なので、私の両親の愛情を受けるのに最適な期間でした。聖義も順香も跳ねまわる時だったのでなおさら、両手に収まる文誉は可愛い可愛いと寵愛を一心に受けていました。
 その後、二年も過ぎれば、文誉も二歳半、到底落ち着いてはおりません。三人兄妹は落ちついてはおらず、マンションでは、跳ねるや飛ぶやで、苦情が上下左右からくるのです。
見かねた私の両親は、積水ツーユーハウスに依頼して、両親の敷地内に二階建ての二世帯住宅を建てるにいたったのでした。両親の私に対する愛情の表れでした。
 一か月過ぎるかどうかで、家は建ってしまうのです。工場で出来上がって部品を組み立てるだけですから、ドラックで運んできた時点で完成を思わせてしまう早さです。残りは内装に時間をかけるという事でした。私の両親も最初は二世帯住宅なので、一緒に同じ家に住むつもりでしたが、子供たち三人の騒がしさに恐れをなして、離れの旧家に引っ込んでしまいました。