2009年8月8日(本部長通信629)
文誉の誕生

 二女文誉は、和歌山で11月3日生まれました。三番目でやはり帝王切開での誕生となりました。長女の誕生から一年過ぎての出来事でした。和歌山では市駅とJR和歌山駅の二か所があるのですが、私の仕事の拠点は市駅の近くで、私鉄近鉄線が大阪まで通っていたところでした。
 このころの私は自然に触れる事を重要視していました。結論から言うならば、船釣りのメッカなので、毎週のように出かけるのです。鯛釣りには加太の港に、家族での釣りは、白浜に、そして、大物釣りには潮岬にと忙しいのです。和歌山ですからお客さんを迎えては船で釣りなのです。そのようなライフワークを持ちながらの文誉の誕生を迎えるのです。
 さすが、三人目の誕生は、帝王切開ということで、千順さんのお腹が大きくなればなるほど心配でした。長女とは僅かな期間しか過ぎてなく歳後ということです。和歌山は大阪と違ってこじんまりした街並みで、江戸時代の紀州藩そのものの面影を残していました。
 そのような中での文誉の出産でした。三人目の帝王切開は心配したことが的中しました。妻はこの時、まったく麻酔が効かないのです。お腹が切られていく痛みが襲ったのでした。今回で出産は最後であると医師からの通達がありました。子宮が破裂するかもしれないという限界状態での出産でした。
 住まいを仕事場の近くの二階のアパートに置き、共働きであったので、保母さんの大西さんが子供たちの面倒を見てくれていました。文誉も病院は和歌山でしたので、大阪の病院とは違っていましたが、我が家に帰ってきてからは、やはり、うつ伏せ寝にして、育てました。
 首がよく据わって、腕力も付いて、さらに自分で顔を左右に向きを変えていくので、額は狭めになって、後ろの頭は卵型で格好いい姿に娘がなって行きました。皮膚の色は、今回千順さんに似ていて褐色系で、健康そのものの姿に私もうれしさ100倍というところでした。