2009年8月6日(本部長通信627)
ベルギーでのサマーキャンプ(6)

 最終日の夜、和やかなひと時だったのですが、事件が起きたのでした。五人の日本メンバーが一室に集まって話していたのでした。その時夜食に残されたカップヌードルが三個あったのです。みんなで分けて食べることになり、会長が始めにシーフードのヌードルを、私に分けるようにして食べたのです。さらに、一つのラーメンを安齋師範と今井師範が食べ終えて、残された一つを聖義に食べさせるようにと手塚会長の心遣いです。
 私がそのラーメンを聖義に持っていったその時、汁がこぼれて聖義の足にかかったので当然息子は、熱いとと騒いと騒いだのでした。その時までは、別にたいしたことではなかったのですが、出てきた表現が「あやまれ」の一言でした。さらに、「親父はいつもあやまらないのだから」と捨て台詞でした。
 私も驚いたのですが、会長を始め、そこにいた師範たちはびっくりしたのです。会長から出た言葉は、その家庭の教育の仕方があるから干渉することではないがと、前置きしながら息子の態度に怪訝そうな表情です。安齋師範からは、何気なく、自分の息子は自分に対して尊敬の念を持っているという会話が続くのです。
 プライベートないつもの息子の態度が、公的にされた状態になったのでした。ちょっと時間をおいて、私と息子はその部屋を退席して、二人で話すことしたのです。まず息子のこの件の主張を聞いたのです。ラーメンの汁が足にかかった事が原因ではなく、その後の親父の姿勢が何か腹が立ったというのです。
 次に私からの話です。僅か三個のラーメンを皆で分けて、少しずつでも食べようとするときに、皆がお前を思って丸ごと一個食べなさいと心を砕いてくれ、なお、親父の私が渡して、汁がこぼれた事に、あの表現は何だと問いただしたのでした。お互い大人の関係なので沈黙は続くのです。
 息子が子供ならば、私が怒って跪かせて終わりなのですが、立派な成人でこれから、自分自身に責任を持っていかなければならないことを考えて、親として諭すことがあったのです。人生において、不条理なことが多くあるに違いないと話すのです。その時のどのような態度が必要なのかという事を私が諭すのです。
 結論として、私が話す内容は、完全自己否定することが重要だと話しました。つまり,押忍の精神だよと話すのです。息子は不満そうな顔をしていることから、押忍の意味を話したのです。人間は、他の人の立場になかなか立つことができないから、まず自分でなく立場に立った人に身を置くことが必要であると話したのです。さらに、自分の立場をしっかり堅持すべきであると話すのです。それから、どのようにその立場の人に屈服(押忍)できるかが大変だが実践していくべきであると話しました。さらに、最後に、建設的な気持ちを維持して展開すべきであると話したのでした。 
 最終的に、心に何か気持ちが不条理さを感じていても、感情的にならず、相手の立場に立って、まず愛情を注ぐことを前提として、何があっても自分の立場を離れず、屈服(押忍)して、良き気持ちの繁殖をしましょうという話をしたのでした。