2009年8月5日(本部長通信626)
ベルギーでのサマーキャンプ(5)

 朝のトレーニングは、ロシアのボリス師範の指導で行われました。蹴りを中心とした連続技の練習でした。一時間に渡って筋力トレーニングは気が遠くなるほど行われました。我が子聖義は苦痛に満ちた歪んだ顔を、修正しながら、最後まで継続していました。
 日本で今朝のような練習を実践していたならば、誰も続かなくなるのではないかと思える練習量でした。しかし、極真の真髄がヨーロッパで結実している事に、とても感謝してするのです。
 私の青春時代の歩みが、このようにヨーロッパで根付いて、もはやヨーロッパ人の武道の精神になろうとすることに驚きを隠せません。実践空手、喧嘩空手、極真空手が、手塚グループとして家族的な関係の中で成長していくことに、私が学んだ人生理念が生かされていくことに素晴らしさを隠すことができないのです。
朝のトレーニングが終了して、朝食を終えてから、今日はブリュッセルの観光を企画してくれました。もちろん、聖義も一緒です。通訳と観光ガイドに智子さんという日本の女性が付いてくれまた。日本で留学生との間に恋が芽生え、ベルギーに押し掛けてきて三年半も経つのだそうです。年齢は36歳になるという事で、今年は結婚を考えているという話をしてくれました。
ブリュッセルの街並みは、中世のヨーロッパにタイムスリップしてしまいます。中世の建物が世界遺産になっていて、その場所は全てが芸術品なのです。有名な小便小僧の像とも御対面です。しかし、よく話を聞けば、その像は盗まれていて、今あるのはレプリカだそうで、人呼んで、「世界三大がっかり」だそうです。
さらに、広場が中央に位置して、四方が芸術作品の銅像が所狭しとある中世の建物に吸い込まれてしまいそうでした。ブリュッセルという首都は百万人の人口を擁しているという事ですから仙台と変わらない暮らしぶりなのでしょうが、中世からの伝統が詰まったキリスト教精神の都市という印象を受けました。
昨年はポーランドの街並みを堪能したのですが、同じ香りがするのです。豊かなキリスト教文明は、人々に安らぎと、新しい創造性あふれる人間性を形成しているのだという実感です。極真空手が根付く理由の一つに、高い精神文明を求める人々の欲求があるからと思えるのです。日本の武士道は西洋の人たちが憧れる精神であると確信いたしました。
昼近くになって、食事をしようとレストランへ向かったのですが、レストラン街も新しいビルではなく、昔にタイムスリップするのです。魚料理と肉料理がメインでしたが、私は、肉料理を選択し、ワインで煮込まれた柔らかいビーフを堪能いたしました。他に、ムール貝のワイン煮やロブスターの料理など伝統的な料理を味わう事が出来るのです。
 今日回った観光地の中で、ナポレオンが指揮して、戦った戦争の跡が270段の階段を上るとあるのです。その場所は、結局ナポレオンがイギリスに敗戦したところなのです。ベルギーにとっては解放という事のようです。それを記念してのライオンの像が、戦争中使用した武器で建てたそうです。それも、ライオンの顔はイギリスに向き、尻はフランスを向いているという事なのです。勝利した国への尊敬でしょうか、敗北した国への屈辱を意味するのかわかりません。
 この古戦場跡を見てもわかるのですが、ベルギーは陸続きであるがゆえに、絶えず征服され続けた土地柄なのです。南から北からあらゆる人々が移動して、地元の人はどうなっているのかという事なのです。それにしても、ナポレオンは偉大な人生の足跡を残した人なのでしょう。私も、お爺さんから、顔を見てはナポレオンと言われながら育ったと叔母も言っていたし、私の記憶の中にもあるのです。小さい頃顔が、西洋人のようであったのだそうです。頭でっかちで、金髪であったのです。
 それだから、師範が偉大な人生を歩んでいるかというならば、ちょっと違うような気がしますが、戦っていることは事実なのです。それは、昔のような武器で争う闘いではなく家庭を充実させようとする闘いなのです。つまり、滅ぼさなければならないものは、家庭を崩壊させる諸々の悪の誘惑という事になります。実にこの闘いが生臭く、自分自身との戦いであろうと思うのです。その手段・媒介を極真空手という人生なのです。
 観光もあっという間に終わりをむかえ、宿舎へと帰ってきましたが、明日、日本に帰るという事で、その日の最後のトレーニングで別れの挨拶をすることになりました。多くのヨーロッパのメンバーが別れを惜しんでくれたのでした。