2009年7月26日(本部長通信616)
師範の特徴(12)

 仙台市市長選挙が終わりました。結果、奥山氏の当選が早々と告げられました。これからの四年間の市政を託す中心人物という事になりました。残念ながら極真会館の渡辺顧問は得票順位第三位ということで、落選ということでしたが、これからの政治家としての意気込みを選挙事務所で聞くことができました。
 政治家としての新しいステージに立って再出発をするという力強いメッセージでした。確かに、選挙では落選という事ですが、その挨拶にはこれからの方向性がしっかりしていて、公的精神の塊でした。政治家としての道を極めんとして行かれる生き方を貫くのであろうと思えました。
 師範は、当然極真空手の道を極めていくことになります。武道教育に生命をささげて出発したからには、原点は、武道ということになります。極真の道に市政の改革や教育に関しての新たなる提言を出さなければならない時には、検討することもありますが、いまだそれは見出すことはないのです。
 師範という存在を分析するならば、一言で言うと心情的存在であると思うのです。とくに武道ですから倫理道徳に厳しいのです。人の道を外れた事に関しては、徹底的に嫌うのです。さらに、極真空手の動きや技を芸術的な段階まで高めようと思うのです。そして、空手をある意味で、科学性や合理性を追求して、哲学の分野まで開拓しようとする狙いがあるのです。
 どのようにして行こうかという自分の生き方に、心の機能を重視した生き方を空手道で見出そうとするのです。その、表現を心情的存在と定義いたしました。極真空手道は、科学的であり、哲学であり、倫理道徳に即して、芸術までに高めようとする狙いがあるのです。師範として、最高の価値を持ちながらの極真を極めんとする生き方であると証言するのです。