2009年7月25日(本部長通信615)
師範の特徴(11)

 時々、師範という私は何だろうと考えることがあります。今日も朝4時半起床、朝の活動を行っていから、親父を老人ホームへ届けて、市内で午前中の指導をして、昼、次の行動に移ろうとしているのです。今日という限りある空間と時間の中で、何かをしようと検討するのです。
 師範は、森義道という強烈な個性を放って今生きています。その生き様は誰も真似ができないほど多様な生き方なのです。しかし、その生き方をしている私はというならば、純粋に心身一体の存在なのです。そして当たり前ですが男性なのです。このような存在ということも不思議なものです。自分で不思議に感じるのですから面白いのです。
 師範は、人生を振り返ってみて、熱き心を抱きながら絶えず生活したのです。燃える日々の連続を繰り返したのです。燃える日々でも、結構理性的に社会に順応しようとしました。当然、犯罪に加担することなく、順法精神をしっかり踏まえながら、日常生活を円滑に過ごしてきたつもりなのです。もちろん犯罪歴はゼロです。さらに、自分の人生を振り返ってみて、あらゆるものの開拓、つまり創造的な歩みをしたことは自分の誇れる内容なのです。それゆえ、会社員とか公務員という分野では活動した経験がないのです。たえず経営者であり続けたのでした。
 今日も市長選に立候補している候補者を応援に出かけるのですが、師範はなんでも全て背負ってできるとは思わず、能力の長けた人を応援し、協力し、餅屋は餅屋に任せる精神で連帯を組むのです。自分の分野をわきまえて、自分の分野以外は、わき役に徹して協力しながらの人生を送っているのです。このような師範という存在ですと分析するのですが、道場生の皆さんはどう映るのでしょうか。それぞれと思いますが、今日は、師範自身の大まかな分析でした。