2009年7月23日(本部長通信613)
師範の特徴(9)

 極真空手をしっかりと身につけて、本物の道場生になろうとするならば、最初に基本を大切にして継続して稽古しなければならないのです。師範はあっという間に極真会館に入門して35年の歳月が流れたのですが、まだまだ修練が足らないと自覚しているのです。
 何故ならば、目指すべき指導者像があるからなのです。その御方の面影を胸に抱きながら乗り越えていくだけの実力を身につけなければならないと今日も必死であります。稽古はあくまで、手段であり、目標は極真空手の中にはっきりあるのです。
 師範はそういう意味で、創始者以上の存在を目指しているということになるのです。その歩みは、まさに親としての領域なのです。内性・外形・極真の伝統と継承するのです。真実に修練を積むならば必ずや獲得できる性質であると目標を高く持って歩むのです。
 ちょっと分析するならば、自分の心と体の一致化は当然のことならが、夫婦として歩んできた道なので、妻との融合が優先されるのです。その本質的な属性は、生命力であり、体力であり、心であることは当然のことで、その内容が息子、娘に受け継がれていくことを願うのです。
 それと、自分自身の生活の動機はどうしなければならないかという課題にぶつかるのです。すなわち、人格の創造であります。自分自身を投入して、自己展開をどのように図るのです。すなわち、道場生のために惜しまなく指導をすることであり、手抜きは許されないのです。
 ですから、師範の稽古は真剣そのものなのです。師範の場合絶対変わらない唯一、普遍なものとして柱としているものがあります。それは私個人であり、夫婦であり、家庭なのです。絶対に人生を全うしようと決意するのです。それゆえ、命懸けで個人の尊厳を維持します。さらに夫婦を命懸けで死守するし、妻に対しては絶対愛であり、さらに、絶対服従なのです。完全な夫人関白です。私は創始者以上になる決意をするのです。それが私の責任なのです。