2009年7月15日(本部長通信605)
師範の特徴(1)

極真空手で求めることは、師範の場合、無限なるパワーの習得、無限大の魂の発露ということになるのでしょう。 日々の極真空手の修練はそのようなところに意義を置いているのだろうと自分では感じています。
年齢を重ねるたびに、パワーの習得より、魂の発露を重視しているような気がしますがそれでも、両方習得のために極真空手を続けているのです。師範の場合、愛情が溢れ出ないと、いろいろなアイデアは湧いてこないのです。問題は自分の気持ちであると断言しています。
 愛情の原点を空手の修行で見出し、その観点から法度や秩序といった内容を検討するのです。そのための行くべき道が親への道、すなわち親業ということになるのです。自分は極真会館の指導者として、良心の感ずるままに歩んでいるかをチェックします。
 師範は公人であると同時に、愛と生命と血の通った人間であるということなのです。間違ったことの方が多い人生であるのですが、しかし、その歩みは熱いのです。理性的になろうとするし、常識的になろうとするのですが、燃えたぎる情熱を抑えることは不可能なのです。
 知性と気持ちと実践力を均等に行こうとするのですが、若かりし頃の情熱はそれを顧みなくなるのです。しかし、なんと誰に言われようとも、動機の原点だけは絶対に正しいものでありたいと思いを巡らせます。