2009年7月13日(本部長通信603)
人間に設計図はあるのか

 巨大高層ビルやジャンボジェット機は、どのように作っていくのかという設計図があります。そして設計図通りに作られて、そのように使用しないと使うことができないのです。例えば、私の失敗を取り上げてみると、携帯電話を水につけてしまうことがあります。そうするともう使用できなくなっているのです。設計図の中に携帯電話は水の中での使用はできないことを表示しているのです。
 私達人間は不思議なことに自分で生まれたくて、この世に生まれてきたのではないのです。しかも、私達の設計図がどうなっているのかわからないのです。誰が作ったともわからない自分自身に身悶えするのも人間なのですが、存在しているのであるから、設計図ぐらい書いておけよと言いたいのです。
 ジャンボジェット機は、工場で作られる時、設計図通りに作られるのです。それでは、人間は生まれた時、設計図があるのでしょうか。それが無いのです。良く生きるには暗中模索しながら手探りで家庭環境の中で育っていくのです。それでも、よく生きられない人達はあまりにも多いのです。
 仕方ありません。設計図が無いのですから。よく生きるために、私達ひとりひとりは設計図を作りましょう。その設計図を完成させるための手段として極真空手はあるのです。始めに、人格完成の道、次に家庭完成、そして、コミュニケーションの中で、環境に調和していくのです。
 さらに、自然を大切にしながら、生きるという基本的なアウトラインが描けます。それから、自分自身で細かい設計図を描いていくのです。人それぞれ全く違った設計図ができるのでしょうが、故障した人生を行かなくて済みます。重病人としてのた打ち回らなくても良いかもしれません。自分一人が自信作である設計図を作って、それから生活するなら間違いは少ないかもしれません。