2009年6月22日(本部長通信583)
父親の子育て奮闘記
長女順香(8)

 小学5年の夏極真会館宮城野支部として独立し、支部長として指導をすることになりました。このときの核は当然順香を含む私たちの子供たちでした。榴ヶ岡天満宮のすぐ近くにある市民センターでの道場開きになりました。
 我が家の子供たちとその友達が7月8日に集ってくださり、開所式から始まりました。師範代の修行時代を経て、やっと支部を任される立場になったので喜びもひとしおでした。
ここでの私の人生の選択が始まりました。確か税理士を目指して大学院税法と会計を納めて晴れてめでたく税理士の道という考えも脳裏をかすめましたが、よく指導教官の高橋志朗先生と話し合いました。
 結論は税理士に成りたくて国家試験を受けながら努力している人がいるのに、森君は資格だけとって容易い道を行くのはよくないという話でした。さらに、誰もできない森君だけできる分野を開拓するほうがよいということを話してくれました。そうすると、大学で研究する分野か空手の指導者になるかということに範囲が狭められました。
 そこで、高橋教授の一言は、誰もやっていない分野の開拓がよいということを提案してくださりました。考えてみると極真会館の師範は、宮城県に何人もいるわけでもないし、市場的には独占市場であるからして、賢明な選択をしなさいということでした。
 私がもし税理士の道を開拓していたならば、子育ての理想はここで終っていたかもしれないのです。税理士の仕事は半端なものではないのです。付き合いは深くなり、夜の付き合いもかなりのものとなると家庭は顧みなくなるのは必然的なことと思えたのでした。次の大学院で修士の資格を取れば、それだけだったのです。自分の子供たちとの人生、つまり森ファミリーとしての自覚を考えてみるときに、極真会館の師範の道が子育ての道にかなっていると思い、税法三科目の科目免除だけで終止符を打ったのでした。それが、順香を徹底的に愛する原動力になったのです。
 仕事よりも子育てを取ったのであり、税理士ミッションよりも、家族を取ったことになりました。それが、順香がより深い私たちの愛情を受けていく受け皿になったのには間違いないと思ったのです。それゆえに、学校の父母会、懇談会、PTAと学校中を引っかき回すモンスター的存在になったのでした。