2009年6月18日(本部長通信579)
父親の子育て奮闘記
長女順香(4)

 東北学院大学の夜間に通うようになって二年が過ぎたころ、その当時だけは許されたのですが、教職課程の履修を途中から始まりました。当時の夜間の授業は不思議に70分で、夕方5時半から9時までの間に三つの授業を受けられたのでした。一週間に受けた授業は十七コマで、卒業単位の殆んど履修することができたのです。どんなに凄いかというと、昼の学生が一日中かけて飛び飛びの授業を夕方までかけて取得するのに、たった三時間余りで、それも続けて履修できるのですから特権なんていうものではなかったのです。今はもうなくなりました。余裕もあり、教職の八十単位は昼の一般で受けることができたので朝から大学通学ということで集中していました。
 それで、子供たちとの時間を夕方からすごすことができるので、プールに行ったり、健康ランドでのお風呂とゲームに戯れたり楽しい日々でした。とくに健康ランドにはプールに滑り台が付いていたものですから、三人の子供たちは独占して楽しんでいました。さらに、このときに極真会館の師範代になっていたので、空手の稽古が始まりました。順香は物覚えが速く、基本も移動も型も難なくマスターしてしまうのでした。
 この時期、順香が三歳から私が夫婦では子育ての中心で、いつも子供たちを保育園に迎えに行き、そこから毎日引っ張りまわした時期が数年続きました。人生を真実に生きる道は子育てであると胸を張って歩んだ時期でもありました。こんなにも子供たちと過ごしていいのかと感謝の念を持ちながら子育ての道を行かせていただきました。子育てに生き、子育てに死すという時期でした。
 ありとあらゆる時間を子育てに集中して、その中で充実した気持ちを抱いていたので、妻もうらやむ子供たちの関係を構築したのもこの時期でした。父親が学生で、子育てが父親で、空手の師範代という中での生活です。この時期が私にとっては子育ての中で過ごした時で、子育てで過ごすのが人生の目的であると感じる、親父としてありがたい時期でした。