2009年6月5日(本部長通信566)

人生劇場(4)失敗も一瞬

 人生の失敗は、一瞬にもたらされます。その瞬間、瞬間がどれほど恐ろしく、どれほど怖いものであるか知るべきです。その一瞬の失敗で、受難を報い、人生の失敗の窮地に落ちていかなければならない人がいるのです。
 このような事を考えると、一瞬のカチャという瞬間が怖いのです。自分の人生の目標も、生まれて始まるのではないのです。自分が目標に向かおうとする瞬間からなのです。一瞬でも時間関係において飛躍、忘却があっては、人生の目標は到達できないのです。
 大きな穴が生じれば、人生の目標は中断されてしまうのです。それゆえ、極真空手を実践する中で、今日稽古しないで、来年、再来年と延ばすようでは、一生の間なんら空手修行と関係がなくなり、そのまま死んでしまうだけなのです。いくら道場の環境が良いといっても、一日、一生懸命稽古した勝利基準を持たなければ何ら意味を持たなくなるのです。道場生にとって、現実に稽古して、頑張ったという旗手になることが重要なのです。
 マスコミに取り上げられる事件、事故もすべて瞬間的な事件なのです。今回の具体的な方針を発表したのですが、盛り上げて土台を築く人と、離れて埋葬されてしまう人に分かれてしまうのです。これは歴史的なすべての事件の生死禍副の期限として組まれているということは間違いないのです。

人生劇場(5)人が生まれる前の不思議
 長町の道場生のお母さんが女の子を出産しました。長男の稽古にお父さんが送り迎えしているのです。あたりまでですが、今の道場生も母親が赤ん坊として、宿して育てったのです。道場の子供たちは、元気に成長しているのです。十年もすれば立派な大人になっていくのです。
 道場生の胎内期間とはどんな期間だったのでしょうか。無形な一人の魂が赤ん坊として胎内に宿り、有形な魂として育つ期間であるのです。人間の魂は赤ん坊として出発し、家庭や社会生活で成長し、そして完成していくということなのです。
 子供たちは、父母がこの上なく愛する場に参加し、一緒なのです。子供たちは父母から生まれたために、父母が差し伸べる愛の旗に揺られて動き、一生の間、父母より愛されて育つのです。
 そのうち子供たちは、すぐさま、母の為にも愛の旗を振るようになり、父の為にも愛の旗を振るようになるのです。さらに、兄弟たちから他人と愛の旗は振り続けられていくのです。この出来事は、母の胎内で起きた事件なのです。人間って素晴らしいですね。

人生劇場(6)人生の道
 今自分たちが暮らしている世間は、はっきり言って自分の意思に符合する環境になってはいないのです。思うように自分の人生を設計することができないのです。すべての道において困難なことが多く横たわっているのです。師範も、人生を振り返って自分の思いのままに過ごしてきたかというと否としか答えることができないのです。
 少年時代、青年時代、壮年時代を振り返っても、絶えず善悪の分岐点が重なり合って、半か丁かの選択を迫られます。これは道場生についても同じなのです。道場生全員、各自自分なりの一日の生活を営むために、自分の環境と闘争しなければならないし、その環境を切り開かなければなにもできない状態にあるのです。
 それゆえ、朝に計画した一日の仕事に対して誰も自信を持つことができないということを、私たちは一日の生活の中でよく体験するのです。その環境の範囲が大きければ大きいほど、自身の一日の生活を勝利として決定づけるためには、それに比例した意志力とし推進力を持たなければならないのです。そうでなければ、その日が勝利の日にはならないのです。その一日が積み重なって一か月となり、一年となって加わっていくのです。
 師範は、この難しい「人生の道」を56年間歩んできました。これからも生命尽き果てるまで歩むのです。極真空手を通して培ってきた師範の生き様をブログにして発信しています。共鳴するもしないも、それは読む人の感じ方なのですが、間違いなくこのように生きた人がいるという足跡にはなります。そして、師範には希望があります。人生の生き方としての一つのモデルとして生きているので、何か感じてもらうことができればという希望なのです。

人生劇場(7) 支えられる喜び
 宮城県本部の戦いが8年に及んでいます。無謀な師範を諭すスタッフが現れてきました。長年孤独な一人での戦いをしてきましたので嬉しいのです。今までひと月も、師範が計画した通りに進んでいった環境にはなっていませんでした。ひと月の勝利をもたらすために、そのひと月の環境に備わった複雑なすべての事情を打破することのできる推進力を師範自身にため込んで闘ってきたのです。
 それゆえに、ひと月の計画を勝利したものとして終えることが出来なかったのです。さらに一年推し進めるために、365日を克服することができる闘士、推進力を備えて行けたかどうかと検討すると、挫折することが多かったような気がするのです。そして、8年の歳月が満ちている今、悩み苦しみながらの極真会館の運営であったことは間違いないのです。
 私たちは時間性から逃れることができないのです。そこで、今回のスタッフの支えは、私の喜びの何ものでもないのです。それが、師範とスタッフが、同じ時間と困難を共有しようとする提案がなされたのです。
 極真会館という組織ですから、必ず達成する目標があるのです。その目標を中心として十年、二十年、三十年、一生行くべきなのです。目標が大きければ大きいほど、精神的に強くなければならないのです。そうでなくては目的に到達することなどできないのです。時間という過程を通じて、その目的を凌駕し得る内的な決意を続けていかない限り、その目的を達成できないのです。それゆえ、支えようとするスタッフの存在がいかに頼もしいか、師範の心に熱く伝わってくるのです。