2009年6月4日(本部長通信565)

人生劇場(1)人が生きる理由

 人生に共通していることは、端的に父母になることでしょう。あの世に行っても父母でありたいと思うし、自分が親でいることが最大の喜びなのです。師範の人生を振り返って感じることは、少年時代は親を尊敬し、親に反抗し、親に迷惑をかけ、生活すべてが親を中心としていたのでした。
 千順さんと結婚して、夫婦として出発し息子が生まれた時に、自分の親がいかに素晴らしいかが実感できたのです。今夫婦で子育てして、50歳を超えて感じることは、人生の目的が親にあることであると素直に思えるのです。
 極真空手の修行は何のためかと考えると、親としての顔を持つことに他ならないのです。どんな顔を築いていくかが修練の方向性ということになります。気持は精神の焦点であり、健康な肉体もまた焦点になります。この二つが結合させるのが、師範の場合、切り口としての極真空手になるのです。
 何故かしら人生を振り返ってみて、師範は自分の両親の姿に帰って行っている気がするのです。人が生きる理由は、自分の両親に帰結する歩みであると実感するのです。師範の親父は、今老人ホームの短期滞在ということで週3日は泊っています。母親は、健康上の問題で宮城野病院に入院中です。
 自分の両親に限りなく感謝する心が師範の気持になっています。生んでくれて感謝、育ててくれて感謝、親にしてくれて感謝、それがまぎれもない師範の気持なのです。

人生劇場(2)人が生まれた理由
 考えれば、考えるほど、難しいのです。しかし、検討してみました。この地球は丸くなっているのです。太陽も丸です。星も丸です。どんなものでも丸の変形になっているようです。それゆえ、すべての関係は、丸く回りながら関係を結ぶという結論を得るのです。
 さらに、丸くなっていても、個人だけでなく、全体的に関連性を持ちながら、球形を維持しているのです。師範はなぜ生まれてきたのだろうかという質問をぶつけてみると、私がこの地球と拍子を合わせるために生まれてきたと答えるのです。
 海の細波が音を立てれば、自分の心も音を立てるようです。そよ風が吹けば、自分の心も気分がいいものです。植物が成長して花を咲かせて香りを放てば自分の心も香りを放つようです。
 ところで、ある他の空手の師範が、自分の思う通りに事を進めようと絶えず主導権を握ろうとするのです。そうすると周りとの調和が崩れ、すべての人たちとの調和が取れず、丸く回る関係から逸脱してしまうのです。まさに、師範が思っている、生まれてきた理由からの脱落なのです。その師範に忠告するつもりはありません。しかし、私は、生まれた理由を、「すべての関係が丸く回りながら関連していく為に」という結論をつけたのです。

人生劇場(3)瞬間と一生の関係
 森羅万象すべての自然の賜物として生かされている私たちであることは間違いないのです。愛で生まれ、愛で育ち、愛で生きて、愛されて死ぬようになっているのです。有難いことです。
 その原動力が自然界から摂取する栄養素です。生命を維持するのには、自然界からの恵みを受けていくことなのです。生命の分岐点は自然現象世界で繰り広げられている営みです。その内容を分析するならば、長い間ただ漠然と生命が維持されている私たちではなく、一瞬の時の栄養素を取り込むことによって生命が維持されているのです。
 それは、瞬間に重要なことは起こっているということなのです。瞬間を大切にすることは必要であると思うのです。ある意味で瞬間を輝かせる人になることが必要なのです。
 その瞬間、言葉の一言、行動の一つに注意すべきであり、考えることも注意すべきです。自分の生活で繰り広げられている内容が、今の職務と関係する現象として残るという信念で解決してのみ、正しい勝利が決定されるのです。すなわち、一生は瞬間の積み重ねなのです。したがって、瞬間を輝かせて無限な価値を感じて生活できる人は大きい人物になるのです。さらに、突っ込んで追及すると生死の分岐点も瞬間なのです。
 道場生の皆さん、私たちの姿勢が問題なのです。一時間なら一時間を、どのようにすれば良いのかということが重要なのです。現代の人たちが恐れていることは、漠然とした不安とか、終わりの日だとか、死ぬことだとかが訪ねてくることです。しかし、師範は断言するのです。一日一日の生活圏内で訪ねてくる時間が大切です。どのように、時間と交差していくことができるかが問題なのです。