2009年5月25日(本部長通信555)
初夏の香りの中で(2)

 初夏の季節をエンジョイできる人は、例え冬が通過していても、冬の季節ですべてが終わるとは思っていないのです。人生にも冬はあります。季節と同じように終わりではないのです。終わりだと思う人の多くは命を失っているのです。自然の冬の厳しさは長時間にわたって、木々や種を育て続けているのです。
 今日の現状を客観的にみていると、たとえば、宗教は麻痺状態と崩壊と、さらには崩壊の方に向かって見えるのです。それは、本来の目的に沿っていないように感じられるのです。アメリカの経済不況の危機的状態は、営利を追求する短絡的な方向へと向きを変えています。
 アメリカにおけるピューリタンの精神は消え失せ、民主主義は危機的状況に来ているといって過言ではないのです。すなわち、今日のキリスト教の根幹が麻痺しているのです。私たちの極真会館の精神は、新しい方向と希望を願っているのです。新しい根を望んでいるのです。新しい生命の印がそこから生まれてこなければならないのです。宗教以上の実感的な精神です。
 あらゆる悪天候でも、その根は、その生命は、新しい印となって表れていかなければならないのです。もし新しい初夏が躍動するとき、誰がそれを歓迎するでしょうか。歓迎する者は、ひからびた枝や幹ではなく、その小さな生命の印なのです。小さな生命の印は根から生じた小さな枝であり、厳寒の季節でも成長し続けるのです。枝は小さいけれども、根に結合しているのです。まさしく、極真空手の行くべき道なのです。