2009年5月14日(本部長通信544)
極真会館宮城県本部発展の歴史認識(1)

 仙台を中心とした極真会館としての活動の歴史が9年目に突入しようとしています。もちろん、安斎道場の仙台の分支部として、師範代期間4年を考慮すると12年目ということにもなります。すでに、極真会館宮城県本部は歴史になっているのです。この道場の歴史を正しく理解するということは、最も重要な要因となっています。それは即ち、道場の理想的方向性ということにもなります。
 何故仙台道場の歴史を検討しようとするかというならば、この道場に誇りを持っているからなのです。この道場の門を叩き、未来に対して希望を持って歩もうとする道場生に、確固たる自信と信念をこの道場の歴史から汲み取って貰いたいのです。さらに、大きな大志を抱いていく青年たちの、未来に対して確信を得るための道場の内容であることを知ってほしいのです。
 道場の歴史を振り返ると、山積みされた数々の問題を乗り越えてきた歴史でもあるのです。あらゆる関係で、起きるべきして起きた事件がありました。それに対して、ただの烏合の衆としての宮城県本部ではないのです。ある意味でしっかりとして信念を持ってあらゆる課題に挑戦して乗り越えてきた歴史でもあるのです。
 これから、極真空手という武道が世間の荒波を乗り越えて社会と対峙していこうとするときに、有益な歴史を刻んできたということをはっきり理解して、自信と信念を抱いた多くの人材を育てたいのです。師範とともに、歴史認識を新たにいたしましょう。
 道場の出発の起点は、榴ヶ岡公園の中にある市民センターでした。私がここで始めたのは、一番町の仙台道場からの移動でした。ある意味で、私は、否定され非難され、あらゆる嫌疑をかけられて一番町の道場を移動することになったのです。私に代わって、信頼できる息子に任せるという道場のオーナーの方針からでした。私は、一番町道場で指導者としての理想を求めておりました。当時何もないところからの道場の出発で、いつのまにか400名近い会員を擁していましたのでやりがいがありました。師範代として、道場の理想を実現しようと夢を叶えることに全力を投入していたのでした。
 今まで、築いてきた4年の歴史は一遍に吹き飛んだ形になりました。仙台道場での師範代の戦い続けてきた歩みは忘れることができないのです。拠点を榴ヶ岡に移してからの気持は、再び一番町の仙台道場と同じ基盤を作りたい気持ちで満ち溢れていました。4年間の一番町道場での思い出があまりにも強烈に印象に残っているからなのです。さらに、指導者として初めて道場生の基盤を築いた場所だったからなのです。
 その意味では、当初築いた基盤をこの榴ヶ岡で確立するためにいったい何をどうするか頭を回転させたものでした。その目標に到達するために、直行か迂回か短縮か延長かは私の努力にかかっているという気持ちであったことは確かなのです。ここで始めた理由はこのような目標と方向性が決定的となっていたのでした。その意味では、一定の師範の調和の法則が作用していたのでした。その法則分析して歴史認識を強固にしていきたいと思うのです。