2009年5月13日(本部長通信543)
極真空手の美学(芸術論)(6)美学追及の姿勢

 極真空手の美学の追及の仕方でありますが、私たちは、創始者のように極真空手の魂を全うしようとする気持ちが必要になるのです。次に、初級の白帯クラスから10段階を経て黒帯に到達するのです。その時に、どのような構想を立てるかが問題になります。自分の気持ちを基盤として、モチーフ、目的、主題をしっかり立てて構想を練るようにします。もちろん指導者としてもこの課題の中にあります。
 次に、道場生としての心構えをしっかり意識します。極真空手の求道者となるためには、自分を謙虚にして全てを吸収しようとする対象意識が必要になってくるのです。道場生が目指している極真空手の範囲が大きいほどその本人の内容の価値が高くなるのです。極真空手の道場生としての最高の極致は、故大山総裁が認めうる極真勇士になることなのです。
 ところで、私たちには個性があります。ゆえに、極真空手の求道者としても、自分自身の個性を充分に生かさなければ意味がないことです。一人ひとりが持っているモチーフ、目的、主題、構想が、自分が行っていく極真空手にどのように反映させるかは努力しなければならないことです。さらに、物理的には、基本、移動、型、組手と、伝統的に築かれてきた内容の調和を図らなければならないのです。たとえば、躍動感あふれる基本の動きであったり、型における形態の動きによる調和であったり、組手における律動の調和であったり様々です。
 結論として、自分の極真空手が、人それぞれの目的と主題の違いで、一方では、金剛力士像を目指すことであったり、他方では弥勒菩薩像であったり、その人の選択した作品が完成するのです。師範の場合の生きざまは、やはり、自分の目指した完成作品に近くなっていると感じます。