2009年5月12日(本部長通信542)
極真空手の美学(芸術論)(5)最大の芸術的価値

 極真空手は、大山総裁が過去学んだ空手の伝統の結実体なのです。さらに極真空手は、剛柔流の流れを受け継いでいるのです。型も実に似ています。伝統としての空手を踏襲し、地上最強を唱えて世界を股にかけ宮本武蔵のように、連戦連勝闘い続けたのでした。
 その実際と実態が大山総裁にあるので、その姿に似ていくことが極真空手では美の条件であることは間違いないのです。実質的条件は、何よりも強いことであり、形態や、量感、姿勢、生活態度、さまざま総裁に相互調和をすることが美の頂点であると思われるのです。
 それが、極真空手を学ぶものとしての動機となり、目的、構想等あらゆる夢が開ける原点になるのです。すなわち、形状的な側面ではこのようなことが、美の追求欲につながるのです。それだけではなく、総裁の思想、信条、教養に至る精神的内容にも及んでくるのです。つまり、私たちは、総裁の業績を追及すると同時に、弟子として、可能な限りの想像力で持って、総裁の精神的要素を理解し、自分の血肉にしようとするのです。
 内外共の総裁の美学が、美を追求する源泉であり、それを超えていくことが弟子たちの使命であると思うのです。ある意味で、時代的背景も総裁の時と違い、現代の今を生きる私たちは、極真空手に対して新たなる深い洞察力で持って、総裁を超えていけるのではないかと思うのです。それが、最大の芸術的価値を生むのです。偉大な人生を歩んだ人を標本とすることは、それだけ身近に感じることができ、喜びもひとしおなのです。