2009年5月5日(本部長通信535)
極真空手における倫理(7)今日に生きろ


 最近の師範の心構えを書いておきます。一年は四季折々いろいろあるけれども、今日という日が最高の日であると心掛けるのです。今までの人生のすべては、今日という一日のための集積に他ならないと思うのです。だから、師範から凄まじい気合いが発生するのです。まさに、「今日に生きろ」であります。
 当然その今日が病気であったり、家庭不和であったり、様々な苦難に見舞われることも多いのです。「今日に生きろ」の発想からすると、それは、生活の不自然さ、心の歪みの反映であり、赤信号と認識すべきなのです。この時、嫌がったり、逃げたりせず、堂々と歓迎するのです。その時の原点は原因の除去のために自分自身の反省ということになります。
 さらに言うならば、人の一生は、運命というどうすることもできない力で、きまった道筋を引きずられていくものではないのです。自らの力できりひらくことができるのです。自分の心の通りに、環境の方が変わっていくものです。断固として正しい道を踏みだすために、「今日に生きろ」であります。
 最後に、「今日に生きろ」の発想のなかで、人は人だ、自分は自分だと、別々の存在だと考えるところに、自分の不幸が潜んでいると考えるべきです。人はみな、見えない次元でつながっているのです。他人は自分の心や振舞いを反映する鏡なのだと思うようにしてください。心の歪みや偏りを正したとき、周囲は意のままにおのずと変わってくるのです。それが、「対話」の精神なのです。