2009年4月29日(本部長通信529)
極真空手における倫理(1)倫理観の確立
2009年4月29日
極真空手における倫理(1)倫理観の確立
極真空手を学ぶにあたって、道場生には、道徳をしっかり身につけるよう指導するのです。道徳とは、人間の内面性の規範であることは間違いないのです。儒教でいう「修身」という意味です。それは、人間としての成長と完成を目指すことを意味するのです。
極真空手でいう千日修行、万日修行に相当します。空手道を通した人間性の追求はただ強くなるだけでなく、心技体がしっかり兼ね備わって人間として恥ずかしくない人格を身につけることなのです。
さらに、倫理というと家庭を基礎とする人間行為の規範ということになります。つまり原則的に倫理は原則的に家庭倫理であり、この家庭倫理を基盤にしてその拡大されたものとして道場倫理、社会倫理が成立するのです。
その意味では、道徳に関しては主観的な規範になるのです。自分が正しいということを心身ともに成長させるのであるからそれは、個人が判断基準なのです。さらに、倫理というと、客観的に観られる材料になります。結局どちらかかといえば、家庭や道場・社会と大きく幅を広げていけばいくほど、客観的な規範になるのです。
したがって、道場は、道場生個人が連帯しあって、しっかりとした倫理観を確立されない限り、世間に後ろ指を指されてしまうのです。師範を中心とした極真会館宮城県本部は、正しい倫理観のもとに、運営されていると確信しています。それが、道場の倫理なのです。