2009年4月22日(本部長通信522)
親戚の葬儀
八三歳になる叔父が亡くなりました。母方の兄弟親戚では三回目の葬儀なのです。自宅での葬儀で、私は、受付を受け持ちました。太白区の砂押地区の近所の人たちがたくさん冥福に訪れてきてくれました。かつてこの家は、農家でしたが、地域が都市化していく中で、農業従事者ではなく、アパート経営で生計を成り立たせ、今は家主業でした。
この葬儀は、今まで、会うことのない親戚と心行くまで話せる時間が過ぎていきました。今の時代は、親戚が集まるのも結婚式や葬式ぐらいで、ゆっくり話す機会も少なくなっているのです。供養ということで、葬式の自宅は、食事や酒を交わしながら、亡くなった叔父の話をし、お互いの近況を語るよき一時でした。
私の母方の親戚は、十人兄弟なので、昔は本家に盆と正月はよく集まっていました。にぎやかで、話は尽きないのです。本家の金森家は伊達藩の武士で上屋敷と下屋敷があったようで、諸般の事情で下屋敷の泉ヶ岳の麓の農地に移り住むようになったのでした。昔は殿様の狩場でそこで世話をする役人だったようです。
ここで、叔父さんともよく出会っていたものですから、感慨深いものがありました。さらに叔母さんは、夫の死を目の前にして気丈に振舞っていました。人間の生死について少しは気がかりになりましたが、死者を前にして感じることは、残された者は、精一杯人生を歩まなければ申し訳ないということなのだと思わされるのです。このような経験をさせていただきながら、さらなる人生への出発なのです。